尾根道やキツネノカミソリ分けて往く
キツネノカミソリという花に出会えた。
処暑になって涼風が吹き、雨が降り、ようやく熱帯夜から解放されて心底ホッとする。現金なもので、気温が数度下がるだけで、戸外で動きたくなる。で、近くの標高700mほどの市民の森に、もう秋の花が咲いているかどうか、ウォークを兼ねて出かけた。
誰もいない管理人小屋を過ぎると、山の登り口に鮮やかな赤い花が目に飛び込んできた。それがキツネノカミソリだった。もう盛りはすぎてほとんどが玉状の種になっていたが、有難いことに最後の数本がまだ咲いていた。
平地には少なく山地のやや陰ったところを好むようだ。葉は春先に繁茂してやがて枯れ、夏に忘れたころ花茎を立て、その上に数個の花をつける。これは秋の曼殊沙華などと同じである。独特な名前は、カミソリのような葉の形から来ているともいわれるが、定説はない。花の朱色が、稲荷神社を連想するのかもしれない。群生し、有毒。
例によって、宇都宮貞子さんの「草木おぼえ書」(読売新聞社:1972年)を開くと、「おばいろ」というページにでてきた。おばいろは信州の一地方語で、ナツズイセンのこと。ナツズイセンとキツネノカミソリはよく似ている。彼女は、キツネノカミソリについては若穂で「キツネノカンザシ」松代で「ハミズハナミズ」、戸隠中社で「ヤマチイチク」などの名を拾って書きとめている。
少し話がずれるが、私が注目するのは、ナツズイセンは、ひろく「忘れ草」と呼ばれていると紹介し、「古典にあんなに出てくる忘れ草、志那の忘憂草から来たという萱草(かんぞう)の忘れ草よりも、この忘れ草のほうがずっと理屈にあっている。どこで聞いても同じような説明をしてくれる・・・葉っぱなくなって、へえそんなもんそこにあったとも忘れてるに、ヒョイと花出て来てたまげる、というような。」という記述。
子規の「病牀六尺」にも、忘れ草が出てくる。8月6日には、
このごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽しみとなっている。
(と書き出しているが、麻酔が切れて)
午後になって頭はいよいよくしゃくしゃとしてたまらぬようになり、ついには余りの苦しさに泣き叫ぶほどになって来た。
(そこで服薬の時間には早すぎるのだが、午後3時半にもモルヒネを飲み、)
それからまた写生をしたくなって忘れ草(萱草(かんぞう)に非ず)という花を写生した。この花は曼珠沙華のように葉がなしに突然と咲く花で、花の形は百合に似たようなのが一本に六つばかりかたまって咲いて居る。それをいきなり画いたところが、大大失敗をやらかしてしきりに紙の破れつくすまでもと磨り消したがそれでも追いつかぬ。・・・とにかくこんなことして草花帖が段々に書き塞がれて行くのがうれしい。
どうやら子規が描いたのは、ナツズイセンではなかったか。掲載した絵もそんな雰囲気である。
カンゾウはユリ科で、ナツズイセンやキツネノカミソリはヒガンバナ科である。カンゾウは花の時に葉があるが、ヒガンバナは葉がなくなってから花が上がってくる。確かに忘れ草の語感は、宇都宮貞子さんの指摘する通りである。
萱草が忘れ草だという説は、どこから来たのだろう。これはある時期からナツズイセンと混同されていたのかもしれない。恥ずかしい話、私はナツズイセンをよく見たことがないので、後日実物を見てから、このあたりの考証をしてみたい。
さて、市民の森に行っては見たが、アブが大発生していて、次々に車にぶつかって取りついてくる。黒っぽい車なので、獣と間違えているのかもしれない。ドアを開けるとすぐに1,2匹飛び込んでくる。さらに気が付くと駐車場のすぐわきの林の中に黒い獣が居る。ニホンカモシカだ。車で近くまで寄っても平然としている。こんなの初めてだ。これもコロナ自粛の影響か。
今年は信州、東北、北海道などでクマの被害が異常に多いし、キャンプ場や人里に降りてきて家畜を襲ったりしている。
駐車場から山頂までは小一時間だが、今日は人っ子一人いない、管理人もいない。何かあると嫌だなと思って、ハイクはやめにして残念だが下山した。