良寛によせて、今(♪シリーズロ短調9)

春の街を呑んで海底冬のまま

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童と遊ぶ良寛さん像(新潟県国上山)

3月11日。
箏、聲明、能、狂言。日本の伝統芸術を総合した不思議な舞台「良寛によせて、今」を観た。プログラムは、次の2本。
吉川和夫作曲「手毬~月の兎」ー箏弾き歌いと狂言の語りによる-
寺嶋陸也作曲「無一物の生」-聲明と能の謡と舞いによるー  

箏、聲明、能の謡の胆の底に響くような音は、(私が普段あまり接していないせいもあり、)異様な迫力があった。聲明は真言と天台の2派からなっていて、これも地鳴りのするような音空間を生み出した。そこに鍛えられた謡の喉が鉄(くろがね)のように挑んでくる。舞台も、音楽会やコンサートとは程遠く、ステージの真ん中に2,30畳?の畳状のシートが敷かれそれがいわば能舞台。シテと箏だけである。聲明は、この周りに20人ほどの僧が黄土色の袈裟懸け姿で座り、驚いたことに途中で観客席の中を般若心経を唱えながら廻るというパフォーマンスもあった。

とくに寺嶋陸也作曲「無一物の生」は、3.11を強く意識した作品で、犠牲者の鎮魂歌である。このなかで、良寛さんが大きな地震にあってそれを手紙に残していたことを私は初めて知った。文政11年(1828年)11月12日、新潟県三条にマグニチュード7.4の大地震がおこり、死者34人の被害を出した。良寛さんが知人に出した手紙は次のとおり。

地しんは信に大變に候 野僧草庵ハ何事なく親るい中死人もなくめで度存候
 うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ

しかし災難に逢時節には 災難に逢がよく候死ぬ時節には 死ぬがよく候 是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ

いかにも70歳の高齢の禅僧らしい達観した言葉であり、字面だけでは大いに反感を買いそうだが、良寛さんは、災害になき苦しみ災害に備え災害の復興に血道を流している人々を揶揄し哀れんでいるのではないだろう。いくら努力しても人には不可能なことがある。その苦しさ辛さからどうしても逃れらないときには、自然の思し召すままに、自分も自然の一部となってすべてを受け入れ、煩う心や自分を咎める心を捨てなさい、ということではないかと私は思う。そんなことができるのかどうか、私にはわからない。ただ人生には泣いても悔やんでも後戻りできないことがあることは事実だ。

三月十日も十一日も鳥帰る  金子兜太