大根の花(New野の花365日)

食べなければ花もやさしき大根かな
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あんまり見事な大根花が咲いていたので、しばらくうっとり見とれてしまった。大根自体が太くて大きくて立派なので、薹も立派だし、何よりも花が白く豊かでやさしかった。食べ慣れた大根がきれいな花であることに改めて驚き、自然の命の不思議さ、ありがたさに何か打たれる思いさえしてくる。

先日、良寛をテーマにした吉川和夫作曲「手毬~月の兎」ー箏弾き歌いと狂言の語りによるーを観た。その受け売りだが、良寛は手毬をついたあと子どもたちに「月の兎」の話をしたそうだ。
・・・猿と兎と狐が仲良く遊んでいるところに、飢えた翁がやって来る。猿は木の実を、狐は川魚を取ってきてあげたが、兎にはなにもみつからない。そこで兎は火に身を投げ入れて自分の身を翁に与えた。翁は泣いて兎を抱えて月の宮にその身を葬った。

(これは今昔物語にあるインドの説話だが、原文では、兎は猿、狐に罵られ必死に食べ物を探す。その様が「何か探してこようと、耳は長く背は丸まり、眼は大きくて前足短く、尻の穴は大きく開いた格好で、東西南北走りまわって探したがどうしても探し出せない」と、悲しいほどリアルにかかれている。)

大根の花で高僧に思いをいたすわけではないが、食べるという人の営みが、殺生そのものであるという根暗な認識も必要なのではないか。また豊かさを求めるということは、格差をうむことと裏表であると私には思えてくる。