棚田・・・美しい執念

奥山の田の小ささよ早苗鳥
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久留米木の棚田
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会社ぐるみのボランティア草刈
ふと、棚田を見にいこうとおもった。「日本棚田100選」を参考に静岡県遠江の山奥、旧引佐町の久留米木の棚田と旧天竜市の大栗安の棚田を探して出かけた。
遠州の奥山は、実に山が深い。いずれもナビも利かないいわゆる天竜美林の中の細い林道を走り回って、小さな看板を目当てにようやく探し当てる。

久留米木の棚田は、日当たりのよさそうな斜面に広々と開けていて、植えたばかりの早苗が清清しい。田はデータによれば約800枚、7.7haあるという。意外にも2、30人ほどの人が草刈の作業に賑やかで、伺うと浜松市F社の社員たちであり、会社の社会貢献活動として年4回農作業の支援をしているのだという。感心させられる。しかし私の目で半分ほどは耕作放棄されている。
大栗安の棚田2箇所に分かれているが、小さな集落の下の急峻な斜面を切り開いて約480枚、8.6haである。この急な斜面を活用する為には、おそらく極めて微妙な水の管理が必要だし、畦の保全などの精緻な土木技術も必要だ。きっと先人の開発したいろいろ高度な知恵が詰まっているのだろう。ここも休耕田があちこちに見られたが、その率は私の目で2割くらいか。一時ガスが風景をおおい、何も見えなくなってしまったが、30分ほどするとガスが切れ、村のお年よりたちが軽トラでやってきて田植えを始めた。おばさんに声をかけると、「若い衆が町に出るので、手がないし、いい田でないと大変でね」。
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大栗安の棚田
いずれの棚田も平安から室町期に歴史がたどれるらしく、極めて古いものだ。またこの山奥の村々は、古い田楽芸能などを残している。いわば生きた歴史の宝庫なのだが、棚田は、米という美味しいものを覚えてしまった人間の、米に対するあくなき執念を感じさせる、それゆえに美しい風景だと思う。だがこの執念も現代では通用しなくなりそうだ。