ムサシアブミの不思議なデザイン

枕もと浦島草を活けてけり (子規 :明治28年)

浦島草は、テンナンショウの仲間。ムサシアブミとは兄弟みたいなもの。

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(句によれば、子規は枕もとに、浦島草を置いていたようだ。好奇心旺盛な子規らしい。
あやかって、私はムサシアブミを)


ムサシアブミが咲いた。
咲いたと言うべきなのかどうか、本当を言えば花は見えていない。
仏炎苞というカバーが覆っていて、花はその中にあるので外からは見えないのだ。私もみてはいないが、棒状になっていて先に小さな花が沢山ついている、仲間のミズバショウなどに似ている形のはずである。
 
なんと言ってもこの仏炎苞のデザインがおもしろい。花の背後から苞がぐるっと被さってきて、前のほうで内部に巻き込み、また下に下がっている。両側は耳のようになっている。前から中は見えないが、横からのぞくことは出来る。虫などを横から入れる構造なのだろうが、一体なぜだろう?そしてまた色とガラの縞模様が、少し不気味だし都会っぽい不思議なセンスで、これはいくら見ていても飽きない。自然は変なものをつくりだすものだ。
 
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(仏炎苞の中をのぞく)

ムサシアブミは武蔵鐙と書き、武蔵の国の鐙(乗馬のときの足を掛けるもの)の意味で仏炎苞を鐙にたとえたという。これは素晴らしい命名だが、さて鐙を知らない現代人が名づけるとしたなら、一体どんな名にしたらいいのか、ちょっと思いつかない。
 
ムサシアブミはサトイモ科。ミズバショウザゼンソウサトイモ科、山によく見られるマムシグサ、平地の雑草のカラスビシャクなどはサトイモ科でもテンナンショウ属であり、ムサシアブミはその仲間である。やはり一属みな異様な形である。この形が面白くてわたしもマムシグサを庭に持ち込んだのだが、なかなかついてくれない。カラスビシャクは庭にいくらも生えたが、抜いてしまうのでこの頃あまり目にしなくなった。
子規の句のウラシマソウも仲間だが、残念ながら私は見たことがない。
 
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(仏炎苞の背中の配色)

日本では「イネの渡来以前に、南方系のサトイモを主食とし、その栽培をした時代が存在した可能性はある」。と山田宗睦氏は推測し、それは稲作により急速消滅したが「日本で、まだテンナンショウの類を食用にしているのは、伊豆の八丈島御蔵島である。」と書いている。(「テンナンショウ」『花の文化史』(読売新聞社))
じつはコンニャクも、テンナンショウ属である。テンナンショウの仲間と我々は、意外に長いお付き合いがあったのかもしれない。と思うと、ムサシアブミをみる目も幾分か変わってくる。
 
ただし、いろいろな図鑑やネットでは、テンナンショウの仲間には有毒だと書かれているので、あまり口にしないほうがよさそうだ。

(参考:http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/65822362.html