さわらびの調べ

早蕨やグーで芽生えてチョキパーへ
 
イメージ 1
(野原での写真がみなピンボケで、仕方なしにこれ。)

今年は近場でワラビのとれる場所を見つけたので、歩くたびにふた握りほど摘んできて一晩アクを抜き、酒の肴にして楽しんでいる。ただし山中のものではないので、大きく太いというわけにはいかないが、旬の風味を味わうには十分である。
 
わたしは戦後間もなくの田舎育ちなので、ワラビ採りは大好きである。当時地域の子供会で毎年集まって山に入りワラビ採りをした。30センチもあるワラビを一握りずつ束にして、それをリヤカーに積んで町場に売りに行った。もう覚えていないが、一束5円とか10円の安い値段をつけていたのだろう、本町までいかないで売れきれた。子供会はこの収入で当時はやりだしたバドミントンを買った。日本の高度経済成長が始まろうとしていたころのことである。
 
石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも (巻8 1814)
(岩の上をほとばしる滝のほとりの早蕨が萌え出る春に、ああなったことだ)*1
 
ワラビといえば真っ先に浮かんでくる、万葉の春を代表するしらべである。
冷たさから解放されてあふれ流れる水面のかがやきと千草の芽生えが、一気に流れるように詠われ「なりにけるかも」が高雅なのどかな余韻をかもしだす。日本の永遠の歌だろう。
だが、私の知る限りワラビは流れの中とか水の淵にはみたことがない。むしろ乾燥した斜面などに多い。多分この歌は実景ではなく、水のきらめきとワラビの芽生えの二つのイメージを巧みに合成したのだろう。
 
詠ったのは志貴皇子(しきのみこ)で天智天皇の皇子。後の持統天皇元明天皇とは兄弟に当たる。親族の政権争いが熾烈な中、天智系から天武系に移る政権下で厚遇はされず田舎にこもっていたらしい。しかし天武系が途絶えた後、志貴皇子の子が49代光仁天皇につきその息子が桓武天皇となり、結果、彼は天皇家の祖となったのだという。
 
もう一つ口をついて出るのは、「外山節(そとやまぶし)」の一節。
わたしゃ外山の 日陰のわらび 誰も折らぬで ほだとなる 
コラサーノサンサ コラサーノサンサ
 
この歌詞はもちろん婚期を逸した女性を意味している。町田嘉章の「日本民謡集」(岩波文庫)の解説によれば、「盛岡市の西北、岩手郡外山牧場に働いている人が、明治の終わり頃から歌い出したもの。新民謡風な曲調に長閑さと野趣共に捨て難い所がある。」
この牧場は現在の岩手県畜産試験場であり明治から大正にかけては皇室の牧場であったという。

蛇足になるが、漢字のクイズをしていて知ったのだが、
「ワラビのほだで手を切れば骨まで切れる」ということわざがある。硬くなったワラビの筋は無理して抜こうとすると手を切ってしまう。油断するなという意味だという。
これは、外山節に絡めて考えれば、やはり年増女性には気をつけよという警句だと思うがいかがか?

*1 「万葉集」 中西進 講談社文庫