光岳小屋・・・想いだすこと

ラジオをかけたら、最近新たに光岳小屋の管理者になったという女性がゲスト出演していて、色々な話をされていた。40年ぶりに管理者が交代し運営形態も変わったと報じている。若々しい大変明るい女性で、開業を11月まで延長したり、ランチを提供するというような話を元気な口調で話していた。バイタリティーあふれ発信力もありそうで、小屋のイメージも変わるのだろう。こうして時代が変わるのか、という感がした。

(新しい小屋 屋根の上に見えているのはイザルガ岳 ウェブから借用)

光岳は南アルプスの稜線の南部にあり標高は2592m、アクセスが悪く登りがきついために中々近づきにくい山なのだが、深田久弥百名山に選ばれていて最近は登山者も多いようだ。私の甥っ子H君も百名山登頂を目指しており、聞くと先年、飯田市の易老渡からのルートで登ったと言う。

光岳小屋は、光岳山頂から15分ほどのところにある。

 

ラジオを聞いていて、私も30年前に苦労して登ったことを思い出した。

私は、たまたま本川根町(当時)の方から同行しないかと誘われて営林署の方や登山協会の方と一緒に登るチャンスを得たのだった。なんと山小屋では食事付きという好条件だった。(当時光岳小屋は食事は出していなかったと記憶する。)

メモを見ると、早朝に役場を出た車で寸又川林道を30キロほど遡り(ひどく荒れていた)、柴沢登山口から直ぐに急登に取りついたが、前夜はあまり睡眠をとっていなかった私は皆から徐々に遅れ、疲れて腰を下ろすとそのままうとうとしてしまった。目を覚ますと小屋の管理人の原田さんが、私のすぐ脇で待っていてくれた。細い体の人で細面で少しあごひげが伸び、極めて物静かな方だった。彼は一服しながら普段は東京で仕事をしていて夏だけここに来ること、光岳はハイマツの南限であることなど物静かに話された。そうしてまた大きな荷物の背負子を担いで、百俣沢の頭まで同行してくれた。そんなことがメモしてある。

(柴沢の登山口(と思われる) このルートは今はどうなっているのか知らない)(黄色いシャツで俯いているのが当時の管理人の原田氏)

インターネットで見ると、山小屋は当時と比べて見違えるほど立派になっている。当時は平屋で中に入ると畳敷の部屋がひとつあるだけ。たしかその真中に炉がありストーブが燃えていて、それで暖を取りながら寝たような記憶がある。南アルプスの他の山小屋、たとえば千枚小屋や赤石小屋と比べて、とても粗末な小屋だった。小屋の中や外見、光岳などを描いた手書きの絵葉書を2,3枚をいただいて持っていたはずだが、今回探したが見当たらない。断捨離したのかもしれない。わずかな写真が手元にあるだけだ。記憶もぼんやりしているから間違いもあるかもしれない。

 

(1996年8月時点の光岳小屋  バックは南アルプス南部の峰々)

けれど私の記憶で鮮明なのは、夜中の事件だ。

この夜は初老の客2人も投宿していて、我々一同と一緒に酒を飲み、話もいろいろと交わした。お2人は聖岳の方から縦走してきたといい、登山人特有の踏破した山自慢を披露した。しかしその一人は、奥さんを亡くしてから登山を始め、何やら憑かれるように山に来ている、という風なことを漏らした。そしてだいぶ酩酊してきていた。その夜はひと間に10人ほどがストーブを真ん中にして雑魚寝をした。

ところが真夜中、突然の大声に、何事か!と皆びっくりしてたたき起こされた。大声の主はあの酔った人だった。はっきりはしないが大声で謝っているような物言いで、「俺が悪かった、許してくれ」とか言っている。それがしばらくの間続き、みな辟易してしまったのだが、やがて徐々に静かになり、みんなまた深い眠りに落ちた。

 

後々、私はこの出来事を思い出しては慄然とした。自分では背負いきれないほどのマイナスを感じて、贖罪のように追いたてられて山に向かい、きつい坂を喘ぐ。そういう試練を自分が生きていることが罪悪であるかのように自分に課している。それでも気を緩めるとマイナスが噴出してきてしまう。酔いに過去を忘れようとしても、山小屋まで追いかけて来る暗い怨念。この人にも何か救済があってほしいものだ。勘ぐりすぎかもしれないが、そう感じたのだった。

 

もう一つ、連想されたのは藤森栄一さんの「古道」にある「ルング・ワンダルング」の中の「身の毛のよだつような」奇譚。(ルング・ワンダルングとは、方向感覚を失ってほぼ同じ所をぐるぐる回ってしまうこと)

藤森少年は友人らと、釜無川を詰めて甲斐駒の鋸を踏破しようとしたとき、第3キレットの近くで、あり得ぬことに人が寝ていた。恐る恐る帽子をとって、見ると、・・・それは死骸だった。しかも生きているように新しい。皆恐怖に震えて必死に岩場を越えて甲斐駒の行者小屋に逃げ込んだ。ところがその夜更けに「キーン、キーンと石突で岩をつつくような響きが断続的に聞こえてき」て、小屋にいた行者は「・・・また来やがったナ・・・と、ぶつぶつ言って、祈祷をはじめた。」行者は呪文を唱えたまま、そのうちに「ぽいんぽいんと跳びあがり始め」、そのままひっくり返ってひきつったように口から泡を出して呪文を続けていた。少年らは恐怖でまんじりともできない。

翌日はまたキュレットのルートを引き返した。そうして例の場所に来ると、死骸は、・・・まだあった。しかし死骸の頭が逆向きなっている、動いているのだ。少年たちは死骸を飛び越えて、追ってきそうな恐れを感じて懸命に逃げた。そうして必死に辿り着いたのが、なんと今朝出立した行者小屋だった。気づかぬうちにまたバックしてしまったというのだ。

 

藤森さんの経験した「身の毛のよだつ」ルング・ワンダルング。そして行者の不気味な闘い、山にはこうした人知を超えたものがあるに違いない、と私は思う。光岳小屋での夜中の出来事は、必ず藤森さんのこの奇譚を一緒につれて記憶の奥から出てくるのである。

いろんな意味で光岳は私にとって思い出深い。

(イザルガ岳からの日の出 富士山のシルエットが美しい)