エビネに出逢う

空山に人語の響きエビネ咲く

エビネを見にいかないか、と友人に誘われて、野生のエビネを見にでかけた。彼は昨年たまたま近くの山を歩いていて、花に出くわしたのだそうだ。

「もういい頃だと思うけど、咲いていればいいんだが」

と心配そうにしている。山の登り口に着くと、意外なことに登山者の車が10台近くひしめいていて、彼は「自分はここが花の名所とは知らなかった」と驚いている。知る人ぞ知るのだろう。この付近では野生のエビネの群生などなかなかお目にかかれないのだ。

湿った暗い沢を1時間ほど踏ん張ると、突然目の前に、満開のエビネが現れた。

急斜面の杉の林に木漏れ日が落ちていて、エビネはチラチラ咲いている。風はなく揺れてもいないのだが、ちらちらと戦いでいる感じがする。山は静まりかえっていて、ときおり花を見に来たハイカーの声が遠くから聞こえてくる。「空山不見人 但聞人語響」王維の詩が浮かんできて、いっとき、世界にこの花と自分しかないような陶然とした気持ちを味わう。

花はまさに満開で、花茎の上から下まですべて咲きそろっていた。

萼は赤紫。白い鳥のような形をしたのを唇弁というらしいが、それを突き出して愛嬌がある。赤紫のもののほかにやや黄色がかった白いものも見られた。あちらこちらに数株ずつ、またはかたまって小さな群落となっているものなど、それを見つけながら、急な道を息を切らせて登り、カメラを構える。あちこちにぽつっぽつっと現れる花たちに、あそこにもあるよ!とお互いに声をかけあう。

 

標高は500mほどの山だが、エビネが見られたのは350m付近。しかも限定された場所だった。乱獲で数が激減したと聞いている。かつては山一面に咲いただろうと、その光景を想像しようとするが、それをイメージするのはなかなか難しい。

しばらくは目を閉じてもエビネの森が、私の瞼に浮かんできそうだ。