これ以上蒔く隙はなし花の種
悪い癖なのだが、花が終わると、ちょっと種を取って紙に包み、その辺に置いておく。しっかり記録しておかないので、そのうちに何時採ったのか、何の種なのかわからなくなる。
・・・そんな種を、今日は頑張って種まきポットにまいた。写真は半分で、あともうひと組みある。一応記憶と知識を頼りに何の種かを確かめたが、私の花の管理など全くでたらめなので、恥ずかしいのだが、芽が出た時のためにメモをしておく。
アサガオ、ユウガオ、キキョウ(白)(紫)、オケラ、センボンヤリの春の花の種らしきもの。このうちオケラとセンボンヤリは全く発芽の自信がない。
ヤグルマソウとニゲラとフジバカマは直播にするつもり。これらも種が全部芽吹いて呉れても困る。その他正体不明が2つ、多分山でとってきた何かの蔓もの。
野菜類は、ゴーヤ、カボチャ、ツタンカーメン(豆)、木は、ナツメの実。
カボチャの種はずいぶんペシャンコで芽が出てくるのかどうか覚束ない。芽が出て大きくなって、蔓が庭じゅう這いまわるのも面白そうではあるが・・・。最近の野菜はハイブリッドとかで、生殖能力がないとも聞くが、それもどうなるのか見届けたい。
ナツメは、実を求めて鳥がくればいいなと思うが、植えて育てるようなスペースがない。芽が出てきたらどうしよう。無責任な悩みだ。
春の庭に出て土に匂いを嗅ぎ草をとったりするころになると、チェコの作家、カレル・チャペックを読みたくなる。彼の「園芸家12カ月」(中公文庫:小松太郎訳)はおかしくて読んでいるとクスクス笑ってしまう。園芸マニアが土を耕して、種を蒔いて、花に一喜一憂している姿がユーモラスに描かれているのだ。つぎは2月の一部。
「春になると、否応なしに、園芸家は庭におびき出される。スープのスプーンをおくが早いか、すばらしい青空に尻をつき出し、小さな花壇で早くもめいめい何かはじめている。・・・あっちで草を抜いたかと思うと、こっちで石っころをひろう。・・・こんなかっこうで彼らは春をたのしんでいる。そのあいだに、彼らの尻の上では太陽が燦爛たる円をえがいて進み、雲がながれ、空の鳥たちが交尾をしている。桜の蕾はすでにほころび、芽はみずみずしいやわらかな葉をひろげ、ウタイツグミが気がくるったようにさえずっている。」
この気持ち、実によく分かる。うまい文章だ。この本の挿絵を描いたカレルの兄は、ホロコーストで亡くなっているのだという。
(ウタイツグミはウタツグミのことかもしれない。日本にはいないようだ。ネットでその鳴き声を聞くと確かに声は大きく多様な鳴き方をする。ただし飛翔しながら鳴いている感じではないが。)
ところで場所がないというのに、昨日またホトトギス(江戸の華という名札だった)、カサブランカ、テッセンの苗を買ってきてしまった。さあどうする?