思親山(1031m)を訪れる

誰彼も頭上に風ある五月かな

(暗くて狭い林道を抜けると、突然富士山が現れる  佐野峠から)

山梨県の南部にある思親山(1031m)をE君と訪ねた。20年ほど前に登って以来、私にとっては3度目になる。

思親山という変わった名前は、日蓮聖人が身延山で修行中、この頂から両親を偲んだといわれることから来ているようだ。日蓮宗総本山の身延山久遠寺はここからさほど遠くない。

 

記憶をたどれば、この山は、富士山がきれいで、明るく樹々が美しく、樹下の花たちが豊富、という印象だった。それだけに楽しみにしていたのだが、その期待はあっさり裏切られた。

 

身延線内船駅の脇から林道をたどり佐野峠(845m)までは経験のある径路だったが、予想を超えて林道は荒れていた。またすれ違いができる幅はなく対向車が来たら…、とびくびくしながらだった。若いころはこうした難路も平気だったのだろう。

しかしこの峠に飛び出して目に入ってきた富士山は秀逸。見慣れた自分でも思わず声が出る。思い返せば今回期待どおりは富士山だけだった。

峠に車を置いて、そこからは約一時間で頂。だがスギヒノキの植林で道は暗く、以前は目を喜ばせてくれた草花はほとんど絶えて見られない。寂しい山になった。

(剣が峰も見えている)

山頂でおにぎりを食べていたら、数人が昇ってきた。一人は田貫湖から天使、長者の山を越え身延までをトレイルするという女性だった。若い男性は富岳36景というポイント巡りをしているという。いずれも小走りに頂上を後にしていった。

ずいぶん山の楽しみ方も変わったのだなあと思った。

北岳間ノ岳もちょっとみえる)

帰路は佐野方面に降りたが、こちらの林道も落石がひどくてしかも路面も悪く時間ばかりかかってしまった。事故がなかったのを幸いとすべきだろう。

(中央は安倍川筋の十枚山と思われる)

途中で鄙びた佐野川温泉に寄ろうと考えていた。そこにももう20年ほど寄っていないが、とてもぬるい湯で、温まるに時間がかかり、かなり広い露天の風呂になっていて男女間には簡単な簾がある程度のいわば混浴に近いものだったのだが。行ってみたらもう新しくなっていて、鄙びたおもかげの欠片もなかった。ここはがっかりして入らずにしてしまった。

今回は、なんだか20年の時代の流れを感じさせる山行きと相成ってしまった。

新緑は美しかったのだが。