冬の夜はいくぶん賢治で山頭火で
生家址を訪ねると、変哲のない鄙びた下町の一角に東屋風に整備された場所があり、その真中に立派な碑が置かれていた。生家は大地主だということなので、その周辺一体が地所だったのかもしれない。「山頭火」銘柄の一升瓶が供えられていたが、彼の父が買い取った酒造場は防府市大道で、郊外の別の場所である。3歳のときに母が自殺。酒造場もすぐに破産する。
うまれた家はあとかたもないほうたる
文字通りの裏路地で、まったく等身大の空間であり、生活することとはここを毎日歩くことだ、というような考えがふと頭をよぎる。
おもいでの草のこみちをお墓まで
夏草、お墓をさがす
啄木のように、石もて追われたわけではないだろうが、しっかり家業もしない、家庭を捨てる、酒に酔って電車を停める、色街で遊ぶ。こんな男にふるさとの目は冷ややかだったに違いない。だが「どうしようもない私があるいてゐる」しかない。そしてふるさとへの想いはほろにがい。
雨ふるふるさとははだしであるく
ほろにがさもふるさとの蕗のとう
死の半年前、句集をまとめて一代句集「草木塔」を刊行。その巻頭に彼はこう書きつける。つい円空を連想してしまう。
「若うして死をいそぎたまえる
母上の霊前に
本書を供えまつる」
( 草木塔・・・・・・http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/63920855.html
( 草木塔・・・・・・http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/63920855.html