山頭火の住んだ町(新山口)

其中庵どうしようもない隙間風 
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其中庵(ごちゅうあん)は、山頭火が50歳から56歳の間住んだ庵である。平成4年に立派に再建されたが、もともと住み捨てた古い農家であったようだ。結庵の翌年、萩原井泉水がここを訪れている。新山口駅から徒歩15分であるが意外に遠い。
中に入ると、部屋にお仏壇があって、彼はそこに
「木彫りの小さい観音様と自殺した母上の位牌をまつっていた。花生けは拾ってきた。汽車で買えるあのころの茶びんで、それに季節々々のその辺にある草花を活けていた。そして朝夕、その前でお経を上げていた。」(「私の好きな山頭火の句」 
大山澄太山頭火文庫3)

けさのご飯はようできました観音様へ


ここでほぼ毎年句集を出し、雑誌も発行していて、山頭火のもっとも充実した時期だったのだろう。ともあれ40代の放浪の乞食坊主は、ここに一時の安らぎを見出したのではないか。その後庵が老朽化して、山頭火は湯田に転居、さらに松山に一草庵をむすび、そこで昭和15年、58歳の人生を閉じている。
其中庵の名は法華経の「其中一人作是証言」からとられたと、案内パンフにある。苦難にあった時、その中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると皆全員が救われるという意味のようで、山頭火は自分を「其中一人」になろうとしたのだろう。

其中雪ふる一人として火を炊く

新山口の新幹線口に、乞食坊主の像が立つ。
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山口県が輩出した歴代首相は、ぬきんでてその数が多い。ある資料では東京の13人についで8人である。もちろん安倍現首相も山口である。
そうしたお偉い政治家を差し置いて、乞食坊主が駅前で出迎えてくれる。街づくりの基本のテーマにも据えられる。いわば乞食坊主を、おらが町の誇りだというわけだ。
山頭火の句や生き方に人間のある真実、永遠の哀しみをみいだし、こんな人物の足跡を大事に守り、ひいては観光の目玉にしようというものだろう。どうしようもない自分を持て余し、政治経済から最も遠かった乞食坊主にとっては、驚きといささかの迷惑かもしれない。
だが、そんな真実個人的な営為が、政治をさし措いて人々を動かす。これが「芸術」の底知れぬ力なのだともいえそうだ。