池田澄子のピーマン

ピーマン切って中を明るくしてあげた 

 池田澄子 (1988年52歳『空の庭』)

 

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(ピーマン?パプリカだけれど両者の違いは知らない)

 

彼女は、自作解説で「完全痴呆的な句」、知性も知識も主張も見栄も無い句だといっている。即ち、切ると暗かった中が明るくなるという自明白白なことを詠んだに過ぎないということだろう。

けれど、俳句って結構痴呆的なものも多い。巨匠と言われている人たちにも、そうした句はたくさんあるし、見たままの俳句っておおむねそういうものだと、言えば言える。この句は、ピーマンの中が暗い、と捉えたのは面白いし、暗いのは可哀そうで困っているに違いないという、「思いやり」も笑えて、決して痴呆的ではない。

ピーマンにとっては、「余計なお世話」だろうけれど。

 

ピーマンというカタカナの語感と「してあげた」という俳句らしからぬ言葉が、句を明るく軽くしていて、10代の女子の、あっけらカランとした笑い声が聞こえるようである。

でも、実はひんやりしたものも少し背後に感じる。

彼女には、「元日の開くと灯る冷蔵庫」という句もあって作者は、中が暗い密閉された空間に対する独特の感覚をもっているのかもしれない。それは閉所恐怖症に近いある種の生理的違和感のようにも思える。締め切ったものがあると、「中は真っ暗だ!」と息苦しさを感ぜずにいられない性向なのかもしれない。

 

そしてまた、「してあげた」「あげましょう」という丁寧な女性言葉、「生まれたの」の、「の」という女性言葉、話し言葉が、女性の句であるという主張をしている。

いわば、女性を武器にした句であって、これを男性言葉に置き換えると、句の魅力がまったく無くなる。ということは、平安女流文学と似ていて、男性の漢文文学を一歩はなれて、口語で日常の些事を機知を利かせた切り口で語ったことと、相通じるものがあるのかもしれない。ここでいう漢文文学に相当するものは、さしずめ芭蕉であろうし、戦後の誓子が根源俳句などと言っていたころの俳句であろう。

 

男厨房で、ピーマンを切りながら、思い出した句に、一言でした。