照る翳る降りみ降らずみ谷戸時雨
(太平洋側だが、時雨雲らしい)
「時雨」という言葉は、人気がある。深まりゆく秋の山河や濡れそぼつ旅人のイメージを喚起して、日本人好みなのだろう。私も上手く使ってみたいと予て思っている。
たとえば、山頭火の「草木塔」の『鉢の子』を拾い読みしたらすぐに次の4句が出てきた。
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
しぐるるや死なないでゐる
うしろすがたのしぐれてゆくか
しぐるる土をふみしめてゆく
これらの句などは、わたしが「時雨」にもっているイメージの典型に思える。
しかし単なる情緒ではなく、「時雨」という気象はどんなものなのか、もっと正確に知りたいと思った。
倉嶋厚さんの「雨のことば辞典」を探ると、
「晩秋、初冬のころ、降ったりやんだりを繰り返す通り雨」と定義して、
冬型気圧配置の日に、日本海などに雲の筋、行列が沢山映っているが、それが「北海道・本州の日本海側の地方や九州の西岸、京都盆地北部のような日本海に近い山間部では、その「雲の行列」の一つ一つの雲が通過するたびに、1~2時間の周期で降ったりやんだりを繰り返す。これが時雨である」と説明している。
また「時雨は日本海側の地方や、日本海側と太平洋側の境界の山間部で降る」とも書いている。
本当に恥ずかしながら、
時雨の実体を初めて知った。しとしと降る雨ではなく、ざっと行き過ぎてまた青空がのぞくといった塩梅のなのだ。案外明るいのかもしれない。しかも、裏日本の気象言葉なのだという。すると山頭火のいう「しぐるる山」は、気象的な面から言えば、山陰か京都か、福岡、長崎辺りなのか、ということになる。四国や瀬戸内、大分辺りではないのかもしれない。
時雨るる山を「どうしようもないわたしが歩いてゐる」。これも幾分明るく感じてもいいのかもしれないなどと思う。