オウチ 楝・樗(栴檀)の花ちる

楝散る長き老後の幸不幸

散歩の林道のコースの途中に、オウチの花が咲いている。樹全体が薄紫色にぼんやりと霞がかかっているように見えて、近くに来ると花だと気がつく。この時季白い花が多い中で、独特の風情がある。特に小雨の時などはいい感じなのだ。

 

わたしは寒いところ育ちなので、オウチを知らなかったのだが、温かい静岡に越してきたら社宅の庭に大きな木がそびえていた。栴檀の木だと聞き知って、これが格言の「双葉より芳し」か、と思ったら大間違いで、まったく別ものだった。格言の方の正体は白檀であり、こちらの栴檀はオウチで樗、楝と書く。こちらはかぐわしくはないけれど花も風情があるし、実は冬の空にずっと残って興を誘ってくれる。

オウチの数少ない記憶では、松江城の堀巡りの小舟から見たオウチ、それから長崎の爆心地にもあったような気がする、こちらは蝶が盛んに舞っていた。いずれも旅先の暖地の花として脳裏の片隅に咲いている。静岡ではそれほど多くはなかったと思うのだが、最近は見かけることが多くなった気がする。

 


明治23年生まれの杉田久女にセンダンを詠んだ有名な句がある。彼女は虚子に破門されて難しい人生を送ることになったことは、小説にも書かれたので知る人も多い。

 

栴檀の花散る那覇に入学す (昭和9年)

 

当時は「那覇」などは新鮮な題材だったのかもしれない。鹿児島で生まれ沖縄、台湾へと父親に従って移り住んだ子供時代の思い出の句かもしれない。那覇では入学の四月にはもうオウチは散るのだろうか。

 

万葉集を探してみると4首にうたわれ、その一つが九州大宰府大伴旅人が妻を失った折の弔問の歌であり、山上憶良のものと解されている。

 

妹がみし楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに(⑤798)

(妻のみた栴檀の木は落花のけはいを見せる。悲しみのわが涙もまだ乾かないのに (中西進))

 

万葉集の4首のうち3首が楝の花が散るという表現なのに気がつく。散り際など、これまで注意を払ったことはなかったのだが、今年はちょっと気をつけてみよう。久女の句も、楝が散るという万葉美学を受け継いでいるのかもしれない。

(ミカン畑の花も、あまり香らなくなってきた。)

散歩の林道わきでは、そろそろ卯の花が盛りを過ぎる。付き物のホトトギスも鳴いている。ハコネウツギが白と紅を咲き分けていて、エゴの花はポトポトおち始め、山桑の実は黒く熟んで甘酸っぱい。ミカンの花の香が治まってきたら、次は栗の匂いが遠くからして来る。ハゼノキも黄色い花をふんだんに咲かせている。ガマズミが派手に白い花序をひろげ、テイカカズラも巻き付いてびっしり花をつけた。

ウグイスがまだけたたましいし、イソヒヨドリがこの頃勢力を伸ばしてきて、山間でも流暢な鳴き声を聞かせている。

山の木々のひっそりと激しい生殖活動が続いている。