ふべんの復権を

碁がたきは憎さも憎し懐かしし(古い川柳から)

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ついに囲碁がコンピュータに征服された。
先日、世界トップの囲碁棋士、韓国のイ・セドルさんが、コンピュータの挑戦受けて5戦し、なんと4敗。かろうじて1勝という全くの惨敗だった。下馬評では全勝で人間の勝ち、まだコンピュータごときがこの複雑な右脳のゲームができる訳がない、という声が大勢だったのだから、このショックは大きい。

チェスに続いて、将棋でも人間はコンピュータに敵わなくなった。それが数年前のこと。と思ったら、なんと囲碁までやられてしまった。

たまたまNHKの「クローズアップ現代」で、アメリカのオンデマンドタクシーサービスを紹介していた。マイカー(いわば合法的白タク)運転手がスマホUberというソフトを使って、乗客をオンデマンドで指定ポイントでキャッチするというシステム。乗客に好評でUberという会社は急成長するが、逆に従来のタクシードライバーが職をなくしそうだ、というニュースだった。さらに今後、こうしたIT化で社会全体の生産性は上がるものの雇用は不要になってくるのだという。ロボットが職について、人は職を失う。そうしてロボットを開発するごく一部の人だけ巨万の富を得、格差は広がる一方だ。
番組でも触れていたのだが、これはもう何とかしないといけない。社会が成り立たない。

今こそ、ふべん(不便)に登場していただく、ふべんを復権する時ではないか。
もちろんまだまだIT化で救われる分野が多いのも事実だが、その開発利用にはルールがあってもいいのではないか。そのルールのポリシーのひとつが「ふべん」ではないか。
私の思う「ふべんの復権」とは即ち、人間の手間の価値をもっと高く位置づけ、ポジティヴアクションすることであり、人の手を煩わせた製品・サービスには税などで厚遇し、人の手のかからない(メイドインRobot)の製品・サービスには高い税をかける。
また社会のシステムでも、たとえばマイナンバーのカードなどによる手続きには、かならずステップの一つには人の手を煩わす作業を組み込む。こういう非常識なイメージだ。
でも核兵器と同様、野放図なロボット化、IT化に制限をかけ、人間を守らなければならないのではないか。

・・・囲碁2千年の歴史において、文字通り歴史的大敗を喫したショックから、ついつい毎日お世話になっているPCに、八つ当たりしてしまったが、世の中の平均値は、へぼ碁レベルでいいのだと改めて思う。俳句や川柳までコンピュータにやられてしまったら、人間はどうなる?