駅伝 そして走るということ

駅伝やしんがりが来るまで寒し

駅伝の季節が始まった。

昨日、静岡市町対抗駅伝という恒例のイベントがあり、近くの田んぼの道がコースになっているので、応援に出かけた。この区間は高校男子なので、速い生徒は素晴らしい美しい走りを見せてくれる。ただし、文字通り風のように走り去る選手もいれば、そう速くもない選手もいるのだが、それぞれ懸命に走る姿はやはり胸を打つ。見おわるとある爽快感が心身を満たしてくる。(ちなみに、私は50mも走れない。)

 

先日、11月27日にクイーンズ駅伝という女性の実業団駅伝が仙台で行われた。ちょうどワールドカップサッカーのコスタリカ戦とぶつかって、マスコミの取り上げは少なかった。

けれどこの日は、日本最高級の女子駅伝が見られた。新谷仁美、廣中璃梨佳、田中希実といった日本記録保持者たちが覇を競い、とくに3区での新谷さんと廣中さんの1秒を争うデッドヒートは見る者を戦慄させた。

 

その前日の記者会見がユーチューブでアップされていて、私はたまたまそれ見たが、異様なショックを受けた。

どんな気持ちで走るのかという質問で、新谷さんがマイクをむけられて、走ることで皆さんに元気を与えられる、ということ以上に「結果は勿論だけれど、アスリートとしての、社会的責任とか社会貢献とは何か、それを問いながら走りたい」という深い意味の問いを述べた。次いで廣中さんは、オリンピック以降「後ろは向いていないが、前にも向けない」とこみあげるものを押さえつつ心情を語り、さらに田中さんは涙を溢れさせながら「世界を見据えて戦ってきて、動物的になり、今足下がぐちゃぐちゃになって、どこに向かっていいのかわからない状態だ。」と言う。そしてそれぞれが自分を取り戻す駅伝にしたいと。

幼いころからスポーツエリートとして育てられまたマスコミがそのように創り祭り上げてきた彼女たちの心の大きな自問自答の闇、葛藤、ストレスが露わに見え、こんな真剣な会見を見るのは初めてだった。そんな重いものを背負っていたのかと気づかされる。道を究めた人たちの精神性すらそこに見えた気がした。また水泳の荻野さんが一時まったく泳げなくなってしまったことなども思い出された。

 

そして、駅伝当日、日本のトップランナーたちが自分と戦いながら、自分の最高の力を発揮しようと懸命に走る姿を、テレビで見ることができた。タスキをつなぐということが、彼女らに、自分が走ることの意味を改めて感じさせることになったなら良いのだが。評判通り皆さん素晴しい走りだった。

 

写真は、地方都市の駅伝だが、懸命に走る姿は同じように胸を打つ。これからの駅伝に目が離せない。