蛙1 (ウシガエルを食べたこと)

牛蛙ボリュームちょっと下げてくれ

田んぼは一面の緑になった。若い苗を揺らして青田風が吹きわたる。

道脇の田んぼをのぞき込んだら、蛙の仔がごちゃごちゃッと集まっていた。オタマジャクシから蛙になったばかりだと思われる。エラ呼吸から肺呼吸に切り替えて、水から陸へ上がり、たぶん自分でも事情がつかめずびっくりしているのではないか、そんな顔をしているように見える。

当然まだ警戒心など身につけておらず、私がカメラを近づけてもほとんど反応しない。さてこのうち何パーセントが大人になれるのだろうか。

 

近くの沼を歩くと、ウシガエルがゴーッ、ゴーッと鳴いている。そして最後に、ゲッ!と大きな溜め声を出す。なんとも不愉快になる。

ウシガエルは食用ガエルとも言った。食用ガエルといっても、食料として流通していたのかどうか知らない。ただ昭和30年代は、信州の田舎ではまだいろいろなものを食べた。タニシ、イナゴなどは子供会で獲って売ったし、蜂の子などは炒めて食べた。

食用ガエルを捕まえて食べたことがある。

小学校ももう6年だったか、中学生になっていたか、小出君という山に詳しい友達に教わりながら、大きな釣り針を3つくらい束ねて太い木綿糸につけ、これまた太い竹竿を釣り竿にした。そして「堤」と呼んでいた貯水池に向かった。一面の葦の間から糸を垂らして蛙の前に針を垂らすのだが、餌はミミズだったろうか、貪欲なので容易に3匹くらい釣り上げたと思う。

しかし、その後これを処理するのが恐ろしく大変だった。

まず斧で頭を叩いて殺し、脚をさばいて太腿の筋肉だけ切り取る。ここしか肉にはならないのだ。ところが、子供が叩いてもそう簡単には死なない。こちらも途中で止めるわけにもいかないので、必死に殺した。そうして得た太腿の肉というのは、ごくごく小さなものだった。それは鶏のささみと似た形で、きれいな赤っぽい色をしていた。熱を入れて食べてみると、感触もささみにそっくりだった。でも命の代償としてはあまりにも小さすぎた。

今でも覚えているのは、蛙は解体されてもなお心臓が止まることなく、ビクビクと動いていたことだ。眼を背けながらそのまま地面に埋めた。後味の悪い経験だった。