蛙2 (大ガエルの大群)

蝦蟇という傍若無人皮の中

ウシガエル骨格標本 : 静岡県立 ふじのくに地球環境史ミュージアム

 

ある家を訪れたとき、「ガマが棲みついている」と言われ、まさかと思っていたら、のっそのっそと這い出してきて、びっくりした。

我が物顔で歩いて人間など気にしない風だった。

ガマなどは余り歓迎したくない。童話のように王子様になることもなさそうだし。

 

大分前のことだが、山梨県身延山の近くの篠井山に春先に登ったとき、山頂も近くになった穏やかな山道に、何やらがゴロゴロしている。見るとそれはガマだった。目の届く山道の向こうまで、歩けば踏みそうな無数のガマが道に出ているのだ。もちろん脅しても、どきはしない。気持ちが悪いったらなかった、が、意を決して、見ないように踏まないように蹴飛ばさないように急ぎ足で通りすぎた。帰路は別のコースをたどった。冬眠から覚めて日を浴びていたのだろうか。蛙合戦の前夜だったのだろうか。思い出すと、今でも生理的な不快感がもどってくる。

一茶の「やせガエル負けるな一茶これにあり」は、長野県の小布施にある岩松院の池で一茶が蛙合戦を見ての句だという話もあるようだ。この寺は北斎の天井絵「大鳳凰図」でも有名だ。

 

不気味な蛙と言えば、

ショパンパトロンだったことがあるジョルジュ・サンドは「フランス田園伝説集」(岩波文庫)を書いている。これはフランス中部地方の農村の伝説を集めたもので、岩波文庫の表書きには、「フランスの遠野物語というべき貴重な作品」と紹介されている。

ここに「夜の洗濯女」という話があるのだが、要約すれば、

よどんだ沼とか澄んだ泉のまわりや木陰の池のほとり、古い柳の木の下で、夜中に激しく叩く洗い棒、荒々しいすすぎ洗いの音が聞こえる。

洗濯女は嬰児殺しの母親の亡霊である。

彼女たちが、いつまでも叩いたり絞ったりしているものは濡れた洗濯物のように見えても、近くで見ると子供の死体なのだ。それぞれ自分の子供を洗う。何度も罪を重ねたときは複数の子供を洗う。彼女たちを見つめたり、邪魔をしたりするのは禁物である。たとい筋骨隆々たる六尺豊かな大男でも、彼女たちにつかまったが最後、まるで靴下のように水の中で叩いたりしぼったりされてしまうからだ。  

 

ということだが、実はこれは蛙の鳴き声なのだ、とサンドは正体を明かしている。ウシガエルかもしれない。