キキョウへの想い

寂しさの風船割れて桔梗咲き

 

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庭のキキョウがさいた。咲く前のツボミがふくらんでくるのも楽しかった。地植えのものが、ヨトウにやられてしまったので、この春苗を買ったものだが、鉢でしっかり花をつけてくれた。

私にとって、青いキキョウは盆花であって、私の生前に亡くなった姉の花である。彼女は戦後の混乱時にジフテリアで死んでしまった。その墓地に盆の時季に咲く花が、青いキキョウだった。そんなことを、かつてブログに書いたことがある。この花が咲くと毎年決まってうっすら悲しく思い出す。

 

朝4時ころ徐々に明るくなってくる庭に見え始めるのが、白いキキョウの花だ。これもいいのだが、やっぱり紫で青の強いものがいい。それが野原にスッと一輪、向こうにも一輪と咲いているのがいい。それはちょっと貞節で素っ気ない美女のようで、なにか馴れ馴れしくできない風情がある。今話題の鏑木清方「築地明石町」を思い浮かべたりする。

きりきりしゃんとして咲く桔梗かな   一茶

 

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キキョウを、愛読する宇都宮貞子さんの「草木おぼえ書」に探してみたが、項が立てられていない。信州でお盆の墓に飾る花の一つとして、載っているだけだ。新版の文庫本にも載っていない。どうしてだろうな。察するにキキョウは、いろいろな方言、地域による呼び方の違いが無くて、単独で取り上げるテーマにならなかったからかもしれない。不思議なほどにキキョウはどこへ行ってもキキョウと呼ばれていて、地方色がない。すなわち、キキョウという名前と一緒に分布が広がったと思われる。

万葉集にもでてこないので、比較的に新しく侵入してきた花かと想像されるが、事実はそうでもない。すでに平安時代枕草子に、キチコウの花と出てくる。しかしこれ自体漢文読みだから日本名はなかったのだろう。その後も「和歌に詠まれることは少なく、勅撰集には桔梗を詠んだ歌が一首も見えないのは特徴的だといえる」(「古典文学植物記」)と、文学世界では控えめであったようだ。地方の呼び方が無いこと、和歌にも詠われないことなど、理由が分からない。美人は敬遠されるということか。朝鮮ではトラジという国民歌になっているのに対し、随分と扱いが違うのも不思議だ。

 

民謡に唄われることも少ない。私のちいさな民謡本には岩手県の「外山節」に

♪ わたしゃ外山の 野に咲くキキョウ 折らば折らんせ 今のうち

という歌詞を見つけるくらいだ。この歌詞は岩手県のホームページによれば武田忠一郎が昭和7年に採録した、とある。武田忠一郎は岩手の民謡の採録に大きな実績を残した人である。

ところが、昭和35年発行の岩波文庫の「日本民謡集」では

「折らば折らんせ」ではなく、「掘らば掘らんせ」と載っている。こちら本の方はいわば文献を整理した歌詞であるので、「折る」の方が元唄かもしれない、が、「掘る」も捨てがたい。というのはキキョウは東北に多く、その根は貴重な生薬だったからである。そして言葉の含みも遜色ない。