カタクリは食べ物だった?

堅香子や日射しは蕊まで届かざる
 
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カタクリのことを万葉集ではカタカゴと言ったらしい。響きもいいので私も「カタカゴ」をつかってみた。
 
島田市の旧金谷町富士見に、カタクリ約一万本の自生地、牧の原公園がある。ここは牧の原の広大な茶畑の東端に当たり、地名のとおり富士山の眺めも抜群な開放感あふれる公園となっている。
久しぶりに訪れると今が真っ盛りであった。ほぼ10年ぶりである。

昔は普通に見られたというカタクリだったが、群落としてみることができるのは、いま静岡県ではここだけなのだという。地元の熱心な保存活動の成果があって、見に来るたびに花の範囲が広がっていて、斜面一杯に薄紫の花をびっしりと咲かせていた。
 
この日は公開日ではないのか、金網のフェンスは閉じられていて、私は網目からカメラのレンズを入れてシャッターを切った。
 
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片栗粉というように、カタクリからは上質のでんぷんが取れるのだが、古代人にとっては大事な栄養源だったようだ。中尾佐助さんの説では、カタクリはクズやワラビ、コンニャクなどと同様、照葉樹林文化に属するものだという。これらは水で晒すという技術によって良質なでんぷんを取ることができた。
したがって有史以前では、カタクリは観賞用ではなく食べ物であったのだろう。

実際私も、カタクリの花を食べたことがある。
もう10年以上前に、信州の飯山市を走っていて物産店で見つけたのが、食用のカタクリ。葉と花が無造作にパックされていて、びっくりした。
これをおひたしにして食べたが、滑ッとしてやや舌に残る油っぽい感覚は、決してうまいものではなかった。

堅香子を食べる習いや祖母の郷
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(パック詰めのカタクリ、まだ今朝とったばかりだろうか)
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(おひたしにしてみた)
ただ、カタクリも食用の山菜だったのだと、あらためて認識させられた。雪深い里の食文化だったのだろう。さすがにご当地でも今はもう食べないのかもしれないが、東北地方の山菜を食べる文化や、ひいては縄文時代へ続く食べ物の歴史を感じざるを得なかった。
 
この日、沢山の人がカタクリの花を見にきていて、その可憐さに歓声が上がっていたが、一体これを食べるなどと誰が想像しえただろう。