富士山は雲の上

雲の上は雲ひとつなし富士は秋
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五合目の駐車から山頂を仰ぐ。ここからまだ1200mはある。
久しぶりに富士山の富士宮口五合目まで行った。曇り空を心配しながら九十九折を高度を上げていくと、どうやら雲の上に出たようで、色が一変した。そこは真っ青な秋の空の中だった。五合目にたつと富士山の赤茶けた山塊が鈍重に目の前にひろがっていて、不思議なほど高度感がない。比較するものがないので、眼が判断できないようだ。先日の初冠雪も消えていた。

さすがにこの時期ともなると観光客もすくなく、外人さんも中国よりも欧米系の人が目に付いた。駐車場の売店は、およそ世界遺産と呼ぶに似合わしくないB級の雑貨ばかり。富士山の文化遺産センターが、建設計画中だというが、日本人がこの山に抱いてきた畏敬、愛着の心情を外国人にも日本人にもしっかり伝わるものにしなければいけないと思う。

信仰のお山を、土足で登るような登山の対象にはしたくないものだ。
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そもそも山は,神のおわすところであり、また死者の行くところであり、登るところではなかった。人知が開けるにつれ修験者などが登拝するようになり、富士山中で即身成仏した験者もあった。やがて富士講とよばれる登拝システムが発達し、一般民衆も登れるようになったが女性は長らく禁制だった。

では、女性登山の第1号は誰か。禄行三志という富士講の大行者が、天保3年(1832年)に高山たつという25歳の女性を、男子の髷を結って男装させ、登頂させたという史料があるらしい。(
富士講文書(高山家所蔵))
たつは、江戸深川の生まれで尾張徳川家の奥女中を勤めた女性。登頂は人に知られないよう、登山期をはずして9月26日(現在の10月20日ころ:丁度今頃)。に吉田口5合目に泊。翌27日早朝に出ると、途中は暑くて綿入れを脱いで登るほどだったが、9合目にいたると積雪もあり気温も急激に低下していた。これ以上は危険だと皆が言う中で行者の
三志は「女人開山」の新しい教え実践のためにどうしても登頂しなければならぬと言い、一人で登ることを決断した。68歳の老師の命がけの言葉に感動したたつは、一緒に山頂を踏みましょうと決意する。山頂は3mの積雪で埋もれていたが、無事拝礼を終えたのは午後4時ころのこと。・・・「富士山 歴史散歩」(遠藤秀男著:羽衣出版)
 
禄行三志という富士講の大行者は、だいぶ変わった人物であったようだ。「つねづね四民平等と男女平等を説き、「女で持つ世」を口ぐせのように語っていた。だからいつかは女性登山(女人開山)を実行しようとしていた。」 (同書)。今の首相のようだ。

風が強くじっとしてると体が冷えてくる。途中のスカイラインの紅葉はなかなかきれいだった。カラマツがちらちらと散って、道の脇に積もっている。