第九の初演と石橋・・・ドイツ捕虜の遺産(大麻比古神社周辺)

年の暮歓喜の歌にも老い独り

年末にはベートーベンの第九と相場が決まっているが、第九が日本で初めて演奏された場所が、先日参拝した阿波の一の宮大麻比古神社」の近くである。鳴門市大麻町坂東に、現在ドイツ村となって観光客を集めている。
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(「バルトの楽園」から)
バルトの楽園」という映画にもなっているので広く知られることとなったが、第1次大戦時に、この地に「坂東俘虜収容所」が置かれ、中国の青島で日本に破れたドイツ兵が収容された。収容所の所長は松江豊寿という人物で、ドイツ捕虜に寛容な応対をしたため、収容所は不平も少なく、酪農やチーズ作り、音楽や体操なども地元民に教えるなどの地域交流も行われたようだ。
私は大麻比古神社をまわって、ドイツ村にいったのだが、だいぶ歩いたので足が疲れて史料館はパスしてしまった。
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それにしても、収容所で第九の演奏が出来るのか?以下、疑問に思っていた点を、映画の脚本を手がけた古田求氏の「バルトの楽園」(潮出版)を手がかりに。
○まず、合唱(第4楽章)だけかと思っていたら、全楽章であること。
○女性の合唱パートは男性用に書き換えたこと。
○楽器は、第1バイオリンが8人、第2バイオリンが7人、ヴィオラが5人、チェロが6人、コントラバスが3人、フルートが2人、オーボエが2人、クラリネットが2人、ホルンが2人、トランペットが3人、トロンボーンが1人、打楽器が2人、そしてファゴットは手に入らずオルガンに代えて2人。意外に大掛かりだ。
○不足の楽器は日本各地から集めたこと。地元の生徒に楽器を教えたりしたようなので、ある程度の楽器は持っていた。
○指揮者は海軍の軍楽隊長だったこと。捕虜の三分の二は民間人義勇兵であったこと。
○演奏会が行えたのは、ドイツの降伏により、終戦となった後のことであったこと。
 
以上、思ったより本格的だし、楽器が演奏できる人たちが如何に多いがわかり、文化の違いを感じさせられる。

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さて、大麻比古神社の裏山に、ドイツ人の残した石橋が残っている。手作りの素朴な感じがする。もう100年も立つのだろうが、ほころびている様子は見えない。これも兵士の中に、技術を持った石工がいたに違いない。
石橋と、構築的なドイツの交響曲。いかにもドイツ、という気がするのは私だけか。
第二次大戦の際、日系アメリカ人が強制収用され、そこで作られた日常用品や装飾品の展示を観たことがあった。展示品はいかにも手先の器用な繊細な小物たちであった。そんなことも思い出した。