子規と絵または石膏像のデッサン-1

冬の日や石膏像は眼を閉じず
 
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(アグリッパの石膏像)

寝たきりの子規にとって、絵を描くことは喜びだった。子規は、「僕に絵が描けるなら、俳句なんてやめてしまう」とまで言っている。
 
子規は中村不折などとの交際の中から、西洋画の知識を会得していったのだが、やがて病床の慰めに、手近なものを写生するようになる。絵を描く句もたくさん残している。
朝顔や我に写生の心あり
草花を画く日課や秋に入る
絵は彼の生きる力であったし、また文学の方法論をそこにみていたのかもしれない。
 
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私は最近、石膏像のデッサンというものを、生まれて初めてやってみた。
そしたら意外に面白く、いろいろ考えさせられることもある。これが子規の写生する喜びと似ていることに気がついた。そして子規(明治の日本人)が徐々に西洋画に対する見方・考え方を変えていくのを追体験しているような気持ちになった。
それを少しずつ落書きする気分で、書いていこう。
 
さて、私の相手は、アグリッパというローマの軍人政治家の頭部である。
この顔は美術の教室などにあったからもちろん知っていたのだが、初めてまじまじとご対面となった。
 
なかなか立派な自信に満ちた顔である。鼻筋が通ってしかもかなり大きい。眼窩は日本人にとっては異様なほどくぼんでみえる。そのため眉あたりの脂肪がやや垂れてみえ、しかめ面で疑い深い意地の悪そうな印象を受けるが、2,3時間も見ているうちに、その眼には意外にナイーブでシャイな光があり、利発な青年の面影も感じられるようになってくる。どんな男だったのだろう、さぞもてただろうなどと感情移入も始まる。
 
鉛筆デッサンなど生まれて初めてなので、顔の輪郭をたどっても、それらしい形にはなってこない。形ではなくて陰影、暗い所と明るい所を捕えるといいらしいが、そう言われても分からない。
今まで水彩画で風景を描いたときは、細かい面倒な所は省力すればいいし、道も樹木も曲がってしまえば、元から曲がっていたのだと思えば誤魔化せるし、結局全体を適当にそれらしい色に塗りつぶせば、はい出来上がりだったのだが、鉛筆のデッサンは、ちょっと塩梅が違う。(私に限ってのことだが)
 
初心者なりに鉛筆を動かしてデッサンらしきものが3枚目になってきたら、次第に石膏の皮膚の下に骨があるのだと思えてきた。それから縦横複雑に走る筋肉のありかをおぼろげに触覚的に感じてくる。陰影の微妙さが少しずつ分かってくる。
そして上手く描けもしないうちから、「ああ、これが西洋画のデッサンなのか。これが西洋人の分析的な視覚認識なのか」と早合点し始める。
次いで不思議なことに、自分がこれまで気分よく描いていた水彩の風景画は、実は気分を描いていたのであって風景そのものを描いていたのではなかった、そんな気がしてきたのだった。
まことに素人の他愛のない感覚なのだが、西洋画をたくさん見てきたはずなのに、触角を伴った見え方は、今までの眼で見るものとは違うものがある気がする。
 
こうした感覚はいったい何なのか?
子規も同じことを味わっていたのかもしれない。そんな気がしたので、私も描くことについて、これから少しずつ感じていることを書いてみようと思っている。素人の感想文にしかならないことは承知の上だが。