私的な(俳句的)風景画論ー2 セザンヌのパレット

三月や十八色のいろ絵の具
 
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ポール・セザンヌは毎日のようにセントビクトワール山を写生に出かけていたという話は誰も知るところだが、しかしじっと風景を見ていたのに、何故あのような写実とはいえない絵を描いたのだろう。
野には花が咲いてもいただろうに、そんなものは一つも描かれてはいない。本当に彼は見ていたのだろうか?
こんな疑問がここしばらく私の頭を離れない。
 
この「巨匠」については、もうさんざんに語られ論じられているから、おそらくいろんな本を読めば、いろんな説明が展開されているのだろう。なにしろ彼がセントビクトワール山を描いていたのは、もう150年も前のことなのだ。それが未だ以て人の関心を引くのも不思議なことだ。
私も一二の本を拾い読みをしてみたが、ピンとこない。デフォルメした、ということならそれほど実物に真剣に対峙しなくとも出来そうなものだ、とも思う。山を見ながら、何を考えていたのだろう。
 
この「難題」は取りえず置いておくこととして、エミル・ベルナールの「回想のセザンヌ」には、彼のパレットに置かれた色が出てくる。
 
ジョーン ブリアン
ナポリ イエロー
ローム イエロー
イエロー オーカー
ロー シェンナ
バーミリオン
オーカー ルージュ
バーント シュエンナ
ガランス (?)
カーマイン
バーント レーキ (?)
エメラルド グリーン
ビリジャン
テール ベルト
コバルト ブルー
ウルトラ ブルー (?)
プルシャン ブルー
ピーチ ブラック (青というより黒?)
 
以上の18色。ほかに白も黒もあるのかもしれない。有島生馬の翻訳本では、これらがフランスの語のまま記載されているので、知識のない自分には不明な色もある。これをholbein 社の色見本とすり合わせて、そのほか適当に考え合わせると、上記のような日本語の色になる。(一部は極めて不確かです。翻訳によってはこの色名が日本での色名に置かれているかもしれない。)
 
セザンヌはこれを、余り混色せずに使うのだという。はじめはほとんど同一色で塗り、しだいに色階を高め、色階連続法を進めた。とベルナールはかいている。色階連続法とは、色のグラデーションの意味なのだろうか。彼の独特の斜めの細い線を置くような筆遣いで、微妙に色を変えていったのかもしれない、が実物を見ていないので、この辺はよくわからない。
 
この18色。私のパレットは、ペインズグレイやセピアなど影を画く暗い色をもっと用意している。暗い部分は、彼は青とピーチブラックを使ったのか?
今後は彼の色を揃えつつ、絵を描いてみようと、今思っている。そうすればもっと分かるかもしれない。