灯台のロマン 剱埼灯台(三浦半島)

剱崎かもめ溶け込む雲の峰
 
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三浦半島の先の方に、剱埼(つるぎさき)灯台がある。
観音埼灯台や城ケ島灯台のような観光地ではないので、余り知られていないが亡義父が好きな灯台だったというので、行ってみた。
ところが道がひどい。
細い農道をはいると、どんどんそれが細くなってヒヤヒヤして、ついに道は行きどまった。そこにやっと反転できるだけの狭い空間があるが駐車禁止。仕方なく灯台に上る通行止めのパイプを動かして車を突っ込み、何とか駐車して、急いで灯台を往復した。
人の来る灯台ではないのだろう。夏草の中にヤマユリが豪勢に咲いていた。
 
灯台はさほど大きいものではないが、基部から胴回りが八角柱なのか、精悍な印象を与える。浦賀水道を隔ててぼんやりと対岸の房総が望まれ、大型船が航行する影も見える。ここは東京湾の入り口に当たり、ここから外が太平洋となる境界なのだという。
明治4年に点灯した日本で7番目の洋式灯台だとのこと。平成3年までは灯台守がいたようだ。その後無人化した。
 
かつては立派な観光地であった「灯台」は、どこに行っても裏さびれている。貝殻の土産屋や干物や、そして丼飯の呼び込みが侘しさを増幅する。この後行った城ケ島灯台もご多分に漏れず、といった状況だった。そして駐車料金だけはしっかり取られる。
 
灯台のロマンはどこへ行ってしまったのだろう。
「♪おいら岬の灯台守は・・・」が国民歌だったが、灯台守の清貧、ストイック、奉仕など初期的な資本主義の精神みたいなものは、AIやら格差社会の中で霧散してしまった。
最果て、岬などのイメージはまだ人を呼ぶ演歌的力はあるだろう。
もう一つ、灯台の持つ魅力は「塔」としての、そそり立つものの魅力だろう。
 
古いものだが、「塔の思想」という美学書というか哲学書というのか、魅力的な本がある。著したのはマグダ・レヴェツ・アレクサンダーというハンガリーの女性で、はっきりしないが20世紀中ごろの刊行だと思われる。挿絵(写真)がすべて茶色に近いセピアで、それだけでくすんだ味わいをかもしている。中身をろくに読みもしないのだが、昔から好きな本なのだ。
 
彼女は本の中で「塔は、唯一の垂直方向へのうごきのにない手であり、象徴的に表現され、芸術的に実現された垂直上昇の理念の純粋な具体化なのである」という。そしてそれは人が持つ高みへの衝動という「精神の、素材に対する意識されない永遠の戦いが表現されている」と語る。
小さな灯台を、こんな大げさに語る必要はないだろうが、やはりすっくと立った白い建造物は、何かしら原初的な高揚感をもたらしてくれる。そしてそれと抗うような遠くの蒼い水平線。
たまには灯台もいいもんだ。亡義父が好きだったという理由も幾分か解る気もするのだ。

ついでに城ケ島灯台
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またついでに観音埼灯台
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