塾に行く足渋らせる時雨かな
「さんさ時雨」は誰もが知る東北の民謡。伊達政宗の作という風説もあるが、事実はそんなに古くはなく江戸の中期以後、京都以西で唄われた恋の流行唄が伊達領一帯に移入されたものという。*3
とすると、「しぐれ」が好きな芭蕉先生は唄っていなかったか?
さんさ時雨か 萱野の雨か
音もせで来て 濡れかかる ションガイナ
何か、古事記の神話でも想像させる艶っぽさがある詞を、哀調こめて歌う。間のとり方とか息の長さとかが結構大変で、私も公民館のクラブで挑戦してはみるのだが、褒められたことがない。
ここでは時雨を「音もせで」と言っているが、むしろ雨音を興趣とするむきもあった。清少納言の、
時雨、あられは板屋。霜も板屋、庭。(枕草子 207段)を引いて、西村亨氏は
時雨やあられが板屋に降るのがいいというのは、その音に情緒を感じているのである。・・・時雨の場合は板屋にかすかに音を立てる、その聴覚に訴える情趣を味わっているのである。と言う。*1
そういう意味では、蝉しぐれ、虫しぐれともいうし、木の葉や松風、川の音も時雨とみなしたのだという。いろいろなイメージが背負わされている。
気象用語である「時雨」になぜこれほどまでに、人生のはかなさや諦観のニュアンスが付加されたのだろう。山本健吉氏は
神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける(読み人知らず「後撰集」)
この歌が、時雨の本情をよく詠み取った名歌として喧伝された。「降りみ降らずみ定めなき」と詠み取ったことから、時雨と言えば、人生の定めなき、はかなさをあわせて感じ取るようになってきた。
と、その秘密を明かしている。
ことばの長い歴史の中で、「時雨」といえばそれだけで琴線を震わすように日本人の感性が訓練され、条件反射するように育まれてきた、のだろう。
しかしニュアンスに多様な面があり、現代人が「時雨」に初冬のしょぼふる雨を感じるのも全くの間違いでもないのかもしれない。
天地の間にほろと時雨かな 虚子
(令和元年の大晦日です。予報では少し荒れそうです。一年ありがとうございました。)
*1 西村亨 「王朝人の四季」講談社学術文庫