音楽ストリーミングサービス なるもの

冬籠りこのスピーカーとも五十年

f:id:zukunashitosan0420:20191224064613j:plain (探すに一苦労の雑然としたCD棚)

IT音痴の話。

 

息子が家に来て、積み重なった私の本棚やCDの棚を見て言う。

「親父が亡くなったら、俺がこれを処分するのか?」

まあ多分そういうことだろう。と、私は心の中で思う。 

 

そして彼は、バッグから小さいタブレットを取り出して、言うには、

「この中に読みたいものを何百冊も落とし込んである。いつでもどこでも読みたいものが読めるから図書館を持ってるようなものだよ。もう本を買って、本棚を置いて、それに埋もれてる時代じゃないよ。」

CDも同じ。もう音源を物理的に所有する時代じゃなくなった。新譜から古いものまで世界中のCD何千万枚が直ちに聞ける。」

 

というので、勧めに従って音楽ストリーミングサービスに入れてもらった。これは聴きたいときに聴きたいものを聴くことができるが、曲を買って保有する仕組みではないという。だから契約を解けば手元には何も残らない。月額払いの経費も安いものである。

 

パソコンと古いオーディオアンプを繋いで、さて、聴いてみた。音も結構良く、私の老いぼれスピーカーが喜んで鳴り始める。中にはCDより明らかに音質が良いものがあって、マスター音源だからだと彼は言う。

さっそく、気になっていたCDを検索する。とりあえずはハイドン弦楽四重奏曲で手持ちでないものを探すと、いくつものアルバムが出てくる。どれでも聴き比べができる。

新進の演奏家、珍しい楽器による演奏。それから現代作曲家の売れそうもないCD中南米などのクラシック、東ヨーロッパの民謡。次々と視聴。

聴いてみたいけれど買うまもないな、と思っていたものを遠慮なく聴ける。気に入ったらいわゆるお気に入りに登録しておけばよい。私の音楽情報が格段に増えることとなった。

これを機に錆びたスピーカーケーブルを20年ぶりくらいで取り換えた。またこじっかり音楽を聴こうという気になっている。

 

本でいえば電子書籍があるのだが、私の欲しいものはデータ化されていないケースが多いので二の足を踏んでいたが、ことこの音楽ソフトに関しては申し分ない。しかし無尽蔵のデータを自由に使えるようになった分、量に溺れそうな懸念がないわけでもない。

私としては、この情報の洪水の中の一滴だけでも、気に入ったものがあればそれだけで豊かになったと実感できる。

 

それにしても、と彼と話したのは、一枚3000円するCDをお小遣いを削って少しずつ買いためた、あれは一体どういうことだったのだろう、と。商品とか経済とかは、一体何なのだろう。情報とは何なのだろう。時代がこうした価値を急激に変えてしまった。

 

何時のころだったか、給料が現金から振り込みになって、働く手ごたえが感じられないなどと皆で嘆いたことを思い出す。それに似た感じが湧く、CD保有しないCD音楽。物権ではなく債権。大地ではなく橋の上を歩く感じ。

斯く言う息子も、一方では古いLPレコードを見つけては買い集めるようなアナログ面もあるようなのだが・・・。技術と感性はどう変わっていくのだろう。