古いレコードプレーヤーの再生

歳月も人もアナログ春の果て

息子が古いレコードプレーヤーを直してくれた。

DENONのDP-1200という代物で50年前に安月給でやっと買ったものだ。高級ランクのものではないが、壊れてからも捨てないでそのまま置いておいた。それを持ち出して直してくれたのだった。

それにしても驚いた。固くなって動かなかったところを毎日少しずつ直した、と言っていたが、わが子にそんな能力があるとはと改めて驚く。また当時の製品は半世紀経ても直せばしっかり使える、という製品の質も驚くべきことだ。

「はい、冥途の土産に」と悪たれをつきながら手渡してくる。でも親に気を使ってくれる優しさがありがたく、素直に嬉しさがわいてくる。

で、30年ぶりくらいにデッキにつないでレコードをかけてみた。レコードは、メニューインのバッハの無伴奏バイオリンパルティータ第2番。終曲は例のシャコンヌだ。EMIの1976年と印されている。

 

ああ、音が出る! 当然とはいいながら感慨がわいたのだが、そのうちに演奏の迫力にじわじわと圧倒され、じーんと来てしまった。音に関してもの申すほどのいい耳にはほど遠いが、感動の一部はこのアナログの音から来ているものと思われた。いかにもこすり合うような弦の音が妙にリアルに感じられたのだった。私の感情移入かもしれないし、それでもいいじゃないか。スピーカーも50年前のDENONで、こちらもご老体だ。

ちなみに、このレコードはハードオフで3枚組300円で買ってきたもの。この値段も悲しいやら嬉しいやらだ。

手持ちの古いレコードが幾らかあるので少しずつ聞く日常が楽しみだ。

ただし、たかがプレーヤーといってもずっしりした重さがあり、大きさもそれなりである。こうしたものが小型化軽量化している中で、というより物ではなくて電磁的記録にさらにいわゆるサブスクリプションという債権になってしまってきた今日、改めてアナログ的物の置き場がないことに気がつく。さてこの狭い家の一体どこに据えようか。

 

蛇足だが、先日中学時代の友人と再会した。その折に、私が60年前の古い記憶をたどって、

「あんたが初めて買ったレコードを、俺も覚えているよ。運命と裏が未完成だったな。」「おお、そうそう!カラヤンだった。飯山のサガイヤで買ったんだったよ」。彼はその後曲折を経て音大へ入った。

レコード一枚を買うことが、生涯の記憶に残るイベントだった時代。半世紀たって、またぞろアナログのレコードが見直されているらしい。