七草粥と若菜摘み

朝日射す七草粥のうすみどり

 

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正月7日の朝は、ささやかな習わしとして七草粥にすることにしている。七草は、もちろんスーパーで買ってきたものである。電気釜で粥炊きにセットする。

椀から湯気がたちのぼり、朝日に当たって光る。セリの匂いが立ち込める。

「うん、これだ。」

 

正月7日に若菜を摘むのは、「人日(じんじつ)」という宮廷の年中行事であったという。

「しかし、人日とか子の日の遊びというように行事として固定し、七日の「七」にちなんで七種の植物を摘むというように形が整理される以前に、若菜摘みがもっと自由な、日本的な風俗であったと思われる。」しかも「若者たちにとっては、それが恋と結婚の機会でもあったのである。」*1

 

若菜摘みと言えば、万葉集の劈頭の雄略天皇の歌の、明るくて若々しくて健康的なこの歌を思う。

「籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岡に菜摘ます子 家告らへ 名告らさね ・・・」

誰かの句にあった「人類の旬」を感じさせる歌ではないか。

この歌はいろいろに解釈されているようだ。妻問いの恋の歌(相聞歌)であるとか豊作の予祝儀式だとか、思う人に向けた魂振り的呪術だとか。

 

しかし信州のはずれの豪雪地帯で育った私にとって、若菜を摘むというのは正しく春の訪れ、命の再生、モノクロの世界が終わりカラーの世界が始まることを全身で感じ取る以外の何物でもなかった。3月の声を聞くとようやく風は南から吹いてきて、雪がゆるみ始め、墹(まま)に黒い土が見えてくる。子供らはみなそこに集まって、わずかに現れた土を懐かしさいっぱいにのぞき込む。そしてノビルやフキノトウが出てくると手を泥だらけにして採ったのものだった。その手はまだ凍みついている土で凍え切った。

家の食卓では、大人も一緒になってそれをささやかな春の訪れとして楽しんだ。

 

そんな少年には、百人一首で覚えた光仁天皇の歌

君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ

 

こうしたおしゃれな様式ばった歌はおよそ異世界のものだった。

繰り返しになるが、若菜摘みは3月頃のことだった。正月の野菜は、雪の下に保存した白菜や大根、人参で、それを食い繋いで春を待ったのだった。

最近は逆に、雪の下に寝かした人参などが甘みが増すというので特産化されてきた。酒もそうしたものがあり人気を得ている。鈴木牧之さんに教えてあげたいものだ。

 

*1 西村亨 「王朝人の四季」講談社学術文庫