七草粥と子規の正月

青を咀めば根白の草の香り立つ
 
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春の七草は、セリ、ナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナスズシロということになっている。スズナは蕪、スズシロは大根。ゴギョウハハコグサハコベラハコベホトケノザは今でいうコオニタビラコであるらしい。
セリは、俳句の季語としては春である。ただし、新年の七草粥を表すときは、「根白草」という別名が与えられている。初めて知ったが、繊細な工夫である。
で、駄句は七種粥をよんだものである。
 
子規の「墨汁一滴」は死の前年、明治34年の1月16日から始まっているが、最初の稿に、三寸ほどの橙と同じ大きさの地球儀を鼠骨からお年玉にもらい、それをためつすがめつ見ているさまが描かれている。
これを20世紀のお年玉だといっているのだが、その年は西暦1901年であった。
 
ついで17日の稿は1月7日の会でのことを書いている。その日門弟の岡麓が土産に持ってきたものは、小さい竹の籠に春の七草を少しずつ植え込んだものだった。子規は「いとやさしく興あるものなれ」と喜んで
あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来し病めるわがため と詠んでいる。
 
1月28日の条をみると、鼠骨がもってきた正月の土産は他にもあったことが分る。
それは三寸の地球儀のほかに、大黒のはがきさし、夷子の絵はがき、千人児童の図、八幡太郎一代記の絵草紙など。子供のおもちゃのような気がするが、子規は、贈り物は実用品でないほうが良い、贈り主の趣味が興味深いといって楽しんでいる。鼠骨は、子規の関心をよく知ったなかなかの贈り物名人と思われる。子規はよむ。

年玉を並べて置くや枕もと  
 
こうしてみると子規は結構こまごましたものが楽しかったようだ。子供みたいな無邪気な関心があったのだろうし、無聊のこの上もない慰めになったのだろう。