ゆきあいの空

ゆきあいの空やタケミツ・サウンド

この時季、おやっ!と思うほど空が青く見える時がある。

先日も堤防を歩いていると、秋らしい雲と夏らしい雲が、それぞれに輝いているのがみえて、美しいと思った。高い空にすじ雲、そして山際から湧き出しているのは、真夏よりも大きい入道雲だ。

「ゆきあいの空」という夏の季語がある。これが、その言葉の空なんだな、と合点した。

行き合い、は文字通り行き合い、出会うことだが、広辞苑によると「夏秋の暑気・涼気の行き合う空」だという。そして新古今集慈円の歌 「夏衣かたへ涼しくなりぬなり夜や更けぬらむゆきあいの空」を例として挙げている。

晩夏に、ふと、暑さの傍らにひんやりした風が来ることがある。これを夏と秋が「ゆきあう」と捉えるのは、素晴らしい感性だ。

30度の残暑の汗をぬぐいながら、日陰に入れば一瞬に汗が引く涼しさ。「ゆきあい」、いい言葉だ。

 

漢字の教科書に、「社燕秋鴻」(しゃえんしゅうこう)という四字熟語が出てくる。ネットのgoo辞書を見ると、

「出会ったばかりですぐに別れてしまうこと。ほんの一瞬、出会うこと。」であり、

「社燕」は、ツバメ。「社」は、春と秋の社日(しゃにち)(立春立冬から数えて五番目の戊つちのえの日)のこと。ツバメはこれらの日に来て去るといわれることから。

「鴻」は、秋に飛来し春先に立つ雁(カリ)のこと。両方の渡り鳥が、春と秋に入れ違いで見られることから、短い出会いをいう。出典は蘇軾の詩だとのこと。

この言葉も、季節の素早い移ろいを鳥の渡りから言葉に定着させて味わいがある。少し人間臭いが。

ちなみに今年の秋の社日は9月22日だという。

 

武満徹の音楽は、不思議なほど「ゆきあい」にマッチしている。これも日本人の底を流れる感性なのだろうか。CDを聴きながら、「ゆきあい」の感覚を増長させるのもいいことだ。