名月を仰いで雑感

射しこんで白き乳房や月今宵

「絵のない絵本」は、お月様が空から見えたものを語る、世界各地の人々の悲喜こもごものお話だが、現在ならウクライナの戦場、イギリス女王の国葬、日本の国葬、熱波、大雨、洪水。こんな風景が話題になるのだろうか。

掲載駄句は、お月様ならこんなものも見えたかな、と思っての句。

 

さて、

中秋の名月だというのでベランダに出てみると、煌々と明るくほれぼれするお月様が雲間から出ていた。ようやく乾燥してきた秋の空気のせいか、輪郭もきりっとしてすばらしい見栄えである。月の兎もよく見えている。左側にひときわ明るい星は木星だとのこと。

残念ながら、しばらくして月は雲に隠れてしまった。

 

月は美しいのだが、冴えきった月を見ていると、やはり何か胸騒ぎがするものだ。

たとえば狼男は満月の夜に野獣に変身する。

源氏物語の夕顔は八月十五日の満月の頃の逢瀬で、もののけに襲われ命を落とした。

今昔物語にも、内裏の松原にて鬼が女を食う話があり、八月十七日の月の極めて明るい夜のことと書かれている(巻第27の第8)。いずれも不気味さが、月の明るさによって一段と凄みを増している。

出産や死去の時刻も満月新月に左右されるともいわれる。

名月は、正なのか邪なのかわからぬ物の怪の気配を秘めている。それは人類が月へ行くことになってもやはり感じる生理的なものに思える。

古今の俳句に、こうしたデーモニッシュな句がないかと探したけれど、私の目では見当たらなかった。

 

名月やわれは根岸の四疊半 子規 明治26年

まだ元気な頃の、子規の句である。子規庵に月明かりが差し込んで来ているのだろうか。ただし、晩年子規が病室にした部屋は、4畳半ではなく6畳だったはずだ。

さておき、今年もまた子規忌が来る。