カサブランカ(ゆり)随想(New野の花365日)

春に植えたカサブランカが大きな花をつけた。カサブランカとは、白い家の意味のスペイン語だそうだ。名前のとおりの白い花を2株で4つ咲かせ、狭い庭を我が物顔で見回している。朝夕に香りはするが、咽るほどの強さではない。

大きな花弁をしっかり横に保って咲いている様子は、いかにもバタ臭いのだが、どうやらこの花は、もともと日本に自生するヤマユリなどを改良したものらしい。

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日本はユリの特産国で、明治期から大いにヨーロッパに輸出されたようだ。

牧野富太郎博士の「植物知識」を開いてみると、輸出の第1はヤマユリ、次がテッポウユリ、次がカノコユリであり、日本は良いユリを持ったものだ、万歳万歳。と博士一流の口舌。またこの本(講談社学術文庫)の表紙絵のカノコユリは、シーボルトの「フローラ・ヤポニカ」からもってきている。

シーボルトもユリには期待していたようで、次のように言っている。

カノコユリは、ユリの中でも末永く第1級の位置を占めるであろう。・・・開花したものを路地に晒しておくのは実にあまりに美しすぎる。自然は室内を装飾し、芳香で充たすために、ユリを創造したのではなかろうか。」

 

話はとぶが、退職者の趣味用に大人の塗り絵などがはやっていて、私が購入したシーボルトコレクションの塗り絵は、サンクト・ペテルブルグの植物研究所保管の資料からのものだといい、なかなか美しい。

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シーボルトのコレクションから 「ヤマユリ
 

シーボルトは、いわゆるプラントハンターで貪欲に動植物をオランダに持ち帰った。(妻子はもちかえらなかったが・・・)その数は「文学的・民族学的コレクション5千点以上のほか、二百の哺乳動物の標本、九百の鳥類、七百五十の魚類、百七十の爬虫類の標本、五千以上の無脊椎動物の標本、二千種の植物、一万二千の植物標本」という記録がある。途中、植物は多数枯れたが260の植物や球根が残ったようである。彼はこれら植物を通信販売のように売り、また日本研究の第1人者として爵位も授けられ実利と名誉のある成功した人生をかちとっている。(「シーボルト」~日本の植物に賭けた生涯~ 石山禎一 里文選書)

彼の妻と、日本発の女医となった娘()は極東の地で波乱の人生を送っている。


いつか山で見たササユリも爽やかだった。この時期少し山に入れば農家の庭先にオニユリが沢山咲いている。

万葉集の次の歌は、おそらくヤマユリだろうと著者大貫氏はいう。忘れがたい歌である。

 

筑波嶺の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹そ 昼も愛しけ(大舎人千文(おおとねりちふみ):巻20 4369

 

筑波山に咲く百合の花のように、夜、床の中でも可愛い妻は、昼間見ても可愛い。 (「万葉の花100選」大貫茂 淡交社)