へびと広島土砂災害

広島市八木地区の土砂崩れは余りの被害の大きさ、痛ましさに震撼した。山奥ではなく、どこにもある都市近郊の造成宅地であることが驚きを倍化させる。まだ不明の方々も多く心が重い。
我が家も200mほどのミカン山の裾にあり、ハザードマップを見れば「土砂災害警戒区域(土石流)」にしっかり色塗りされている。実際大雨のときには 山からの水路が滝のようになり、背筋に寒さを感じることがある。だが、心のどこかでは、「まさかあんなことにはならないだろう」と思っている。いつも災害 は、まさか!だとは知りつつ。
 
この地には、七夕豪雨の記憶が刻まれている。昭和49年の7月、静岡地区に豪雨があり7日夜9時から翌8日朝4時までの7時間余に、1時間平均63mm、計508mmが降ったという。これにより巴川流域はほとんど湖水と化した。自宅の裏山も土砂が流れ近くの旧家も被災しているという。この周辺は、この災害のあと少しずつ住宅が建ったところで、私も移り住んで日が浅いが、状況は15年前の被災を繰り返した広島市八木の例と変わらない。
 
7月に信州の南木曾町で起こった土砂崩れの際、「蛇抜け」(じゃぬけ)という言葉を目にした。地元に伝えられている災害用語である。山が土石流になって蛇のようにずるっと這い出してくるイメージだろうか。「山抜け」は山崩れの意味で使われるが、「蛇」は実に気味が悪い。
たまたま千曲川のことを調べていたら、昔から大雨の折に、現上田市小諸市付近の集落が、浅間山の火山灰土の脆弱な地質が災いして、ひどい土石流被害を受けていることを知った。とくに寛保2年(1742年)には千曲川が氾濫を起こし2500人もの死者を出したといわれるが、小諸の「蛇堀川」が大災害をもたらした話を、千曲川河川事務所主催の「千曲塾」の記事でよんだ。また室町時代に蛇堀川が上流から七尋石(ななひろいし)という巨大な岩を運んできたという話もある。「蛇堀川」、同じイメージである。
 
テレビをみていたら広島市の被災地近くの方が、今は八木という地名に関して、その昔は「蛇落地(じゃらくち)悪谷」であったという興味深い話をされていた。今は全く失せてしまった地名だが、もし住民がこれを知っていたらここに住むの は敬遠しただろう。画面に出た寺が「浄楽寺」であり「じゃらくち」を連想させて、地名の命を感じさせる。
 
イメージが悪い地名は住人や不動産屋に敬遠されるだろうが、地名は深い知恵とメッセージ性をもっている。地名研究者・民俗学者谷川健一氏は、「地名には敷石のようなつややかな美しさがある」として、
「地名はまた、長年月、多くの人びとが使用してきた共同井戸にもたとえられる。私達はその井戸からつるべで水を汲み上げるように、日本人の共同の感情を汲み上げる。」と書いている。共同の感情はまた、共同の知識、知恵でもあっただろう。
われわれは古い地名のメッセージにもっと敏感にならなければならない。災害地名が見直されれば防災に一役買えると思うのは、私だけではないだろう。
 (参考:「静岡県の地名」)
蛇抜けの伝えおそろし街埋む
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