マララさんの眸は深々と冬銀河
(墳墓のプラン:ネットから拝借)
が、日本は同調する必要はない。アメリカだって人質交換はしているのだ。
イスラム国の脅迫メッセージの中に、日本も十字軍に加わった、というくだりがあった。イスラムに対するキリスト教軍の一員だということであろう。キリスト教圏とイスラム教圏は、その宗教を守るがゆえに、お互いに残忍な殺戮を繰り返した。つい先日の、フランスのシャルリー・エブド襲撃事件の根には、この憎悪がありそうだ。言論自由を訴えて370万人ものデモが繰り出されたが、それでも多くの人は風刺画を認めていたわけではないだろう。イスラム教徒も参加していて、大統領はデモは反テロであり反イスラムではない、ということを懸命に訴えていた。
しかし、誰しも自己の・国のアイデンティティー・名誉を嘲笑されたら怒るに決まっている。日本の武士は、それだけで決闘もし腹も切った。ちなみにシャルリー・エブドの前身の名は、hara・kiriだという。もちろん日本の切腹を揶揄したものだ。
日本が、日本国民が十字軍の一員であるわけがない。しかしそう受け取られるようになったら、日本の立つ瀬がなくなる。日本らしさがなくなる。諸外国の宗教の混沌と憎悪に足を踏み入れる必要はない。日本は旗幟鮮明でなくていいのだ。曖昧で包括的で優しいのだ。
ニューヨークの9・11事件のあと、グランド・ゼロの再開発コンペがあったが、確か安藤忠雄さんが、ここに巨大な墳墓を作るという案を出していた。今思い出してネットで探すと、こんなプレゼンが出てきた。
なるほどこれでは採用されるわけがないなと思ったが、この非凡な建築家が人類の大きな課題の前にして、建築を投げ出してしまいピラミッドや前方後円墳やスツゥーパなどにちかいものをイメージしたというのは、私にはよくわかる。これはアメリカにわかってもらえたのだろうか。日本人的すぎるのだろうか、そのあたりは分らない。
「テロは、数多くの尊い人命とともに、都市にとっても最も重要な<記憶>を奪った。一世紀前に岩盤の上に誕生した近代都市ニューヨークの、そしてアメリカの富と繁栄のシンボルの破壊、同時にそれは20世紀的世界を形作ってきた価値観そのものを否定する行為だった。
その行為を許すことはできない。単なる破壊と報復の連鎖からは何も生まれはしない。だが事件の根幹は異文化間の対立、すなわちグローバル・スタンダートの追求と伝播を善とするアメリカ社会の価値観と、それに対して自らのアイデンティティー、宗教的バックボーンを守ろうとしたイスラム世界的価値観との衝突にあった。
それは追い詰められた人々の、精一杯の抵抗であった。
失われた都市の空白を何かで埋めようとするならば、それは建築ではなく、鎮魂と反省のための場所であるべきだ。
私は、グランド・ゼロに、鎮魂の墳墓をつくることを提案する。球体の一部にして底面の直径は200メートル余り、ゆるやかな大地のふくらみともゆうべきささやかなモニュメントの計画だ。
スケールについては、経済によるグローバリゼーションではなく、人間の対話による“ただ一つの地球”へ-との思いを込めて、地球の赤道半径より数字を割り出している。
今こそ考えるときだろう。
この地球という限られた場所にせめぎあって住みついている私達人間が、いかにして共に集って生きていけるか。互いの存在を認め合いながら、一つの共同体を営んでいけるか。」
(原文が見つからないので、引用はネットからコピペです)