“Nippon and America all the same” ?

振袖にとんずらされて春を泣く
 
貸衣装屋が、成人式当日雲隠れした。
福袋をアルバイトを使って買いあさり、転売する中国人らしきもの。
カヌー選手がオリンピック出場に選考されたいと友人に禁止薬物を。・・・また今年も3面記事が動き出している。
 
朝鮮半島では、北朝鮮が突然オリンピックをねたに韓国と話しをし始めた。韓国は足下を見られるからいろいろ飴を用意せざるを得なくなるだろうという気がする。
 
「日米が100%共にあることを力強く確認した
これは安倍首相の言葉だが、多くの国民は首をかしげた。
当の韓国だっておそらくそんなことは考えていない。南北問題は自国民族の問題だからもっと離れて実利的にアメリカを見ているはずだ。
「100%」がいかにも異様だ。こういう情がべったりした台詞は、日本人の性向かもしれない。
 
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(「パウハタン号上で日本委員を招いての正餐」 同書図版から)

幕末に来たペリーが残した報告書があるが、それを抜粋した
「ペリー日本遠征記図譜 U.S.JAPAN EXPEDITION IN 1854」という文庫本が手元にあり、風邪の無聊に開いていると、「100%」と似た言葉を見つけ「おやおや」と思った。*1
 
アメリカは1853年にいわゆる黒船騒動を引き起こして出現し、このとき江戸幕府は要求の回答を一年先に延ばしたので、ペリーは翌1854年1月16日に再度江戸湾に現れている。その後日米和親条約が締結されて、下田と函館が開港し、長い鎖国が終わったのは教科書のとおりである。約160年前のことである。
 
3月31日の条約締結の前に、3月27日、ペリーは旗艦船で日本側の委員を招いてもてなした。日本の委員5名は提督の部屋で、随行の60人は甲板の席で饗応をうけた。
アメリカ側も力をこめて準備したようすで、日本人は肉やワインをみな大いに飲み食いする様子が活写されている。
 
日本人の食欲は猛烈で、皿を選んだり、食事の順序の見境をつける余裕などはほとんどなく、魚、獣肉、鶏肉、スープとシロップ、果物とフリカッセー、蒸し肉と煮肉、塩漬け物と砂糖漬け物とをゴチャゴチャに詰め込んで、驚くべき無作法さを示した。(そして残り物を懐紙に包んで持ち帰る様を興味深く書いている)
 
日本の主席は林であったが、彼は「常に荘重にして威厳のある態度を持していた林は、控えめに飲食したが、凡ての料理を賞味し、あらゆる種類の葡萄酒をチビリチビリと飲んだ。・・・正気でいられたのは実際林1人であった。
 
さて、日没になった。日本人は飲めるだけの酒をしたたかに飲んで、退艦の用意をした。愉快な松崎は、腕を提督の頸に巻きつけて、よろよろと抱きかかえ、両肩の新しい肩章を押しつけながら、涙ぐましい感情をもって日本語で次のように繰り返した。
それを英語に翻訳すると“Nippon and America all the same”
(「日本とアメリカはおなじこころである」)という意味であった。
 
この光景は、いかにも今われわれが、中国人団体観光客の喧騒を見ているようだ。
“Nippon and America all the same”から、安倍首相の「100%」発言をおもいだし、日本人は、ちょっと気心が通じると気を許してしまうが、なんだか日本人は素直で単純すぎるのかなあとついつい苦笑してしまった。

(参考)
・主席の林は林復斎(大学頭)、松崎は松崎満太郎(幕府儒学者
・本書でいうパウハタン号はポーハタンと表記される外輪船。のちに日本使節の正使をパナマまで乗せていく。咸臨丸が同時に派米されている。吉田松陰が下田で密航しようと乗船した艦船であり、彼は送り返された。

*1 「ペリー日本遠征記図譜 U.S.JAPAN EXPEDITION IN 1854」 豆州下田郷土資料館編 平成10年 京都書院発行 
この本は幕末に黒船で日本に来たペリーが海軍に提出した報告書から、図版を抜粋復刻し、図版解説を「ペリー遠征記」(岩波文庫)から引用したもの。