失われたものへの歌(♪シリーズロ短調8)

寒声を水は聞くやらさんざめき
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先日、「歌うという行為は、何なのだろうね。誰もいない石の河原に立って、生理的な快感に似た何かに包まれながら私は、音痴の高音に繰り返し挑戦する。」と書いたばかりだ。
ずいぶん昔の本だが、團伊玖麿と小泉文夫の対談で「日本音楽の再発見」〈講談社現代新書〉という本がある。時代は推移したが鋭い視点はまだ現役だ。たまたまそこに次の話が交わされているのを見つけた。長いがそのまま。
 
團伊玖麿
ルバング島小野田少尉が見つかったとき、30年も一人で暮らしてきたのに日本語がとても流暢だった。新聞記者がそのわけを尋ねると、「だって、歌っていましたもの」と答えている。孤独だからいつも歌を歌っていた。誰に聞かせるでもなく、おそらく自分の魂を慰めるために、生きていくために歌は彼にとって必要だった。その結果日本語を忘れなかったのです。
僕はそれを読んである種の大きな感動を受けたわけです。ある意味で人間の原初の姿であるあの状況で、音楽が必要というか、存在するのですね。
自分以外に聞き手のない歌を洞穴の中で30年間、一人歌っている男の姿を考えると、なにか慄然とするものがある。」
「たった一人で歌を歌うときにも、それはやっぱりコミュニケーションなのですよ。アフリカの部族社会などでは、一方で部族の歌がありながら、他方で個人の歌がたくさんあります。それは大部分が恋の歌か死者への歌ですね。つまり恋の場合は、相手がそこにいれば抱き合ってセックスをすればいいわけですが、相手がそこにいないときにセックスに対する欲望が恋の歌という形になる。死者の場合も相手がもういなくて、話しかけることができない。だから歌を歌う。そして恋の歌も死者への歌も大声で人に聞かせる必要がなくて、自分にだけ聞こえればいい。だから自分に向かって歌うのですが、明らかにそれは恋人や死者とのコミュニケーションなのです。」
 
なるほど挽歌と相聞なのだね。わかる気がする。
私も失ったものたちに呼びかけていたのかもしれない。