「タケニグサ」当て推量

 よくもまあとタケニグサは呆れられ
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野原のいたるところに生え、2mをこすような呆れるほどの大柄な草である。葉の裏は白く、茎にも白い粉が吹く。農家にとっては困り者だろうが、その一種異様な風体は何かとぼけた可笑しみさえ感じさせる。
河原の株もこの頃急に大きくなり、もう私の背を越した。
 
タケニグサという名前は、茎の空洞が竹に似ているからだ等と説かれるが、私には似ていると思えない。じゃあ、「タケニグサ」とは誰がつけたのか。
いつもの宇都宮貞子さんの「草木おぼえ書」を開くと、「がくんど」という名で出ており、地方によっていろいろな名で呼ばれていたことがわかる。イタチグサ(若神子)ウジコロシ(高山)スソヤキ(鬼無里)ササヤケ(駒ヶ根)ミミッツブシ(小赤沢)ガクンド(辰野)河童の尻拭い(六日町)などのおもに信州での地域名を採集して記載している。だがこうした中に、竹を連想させる名前はない。
記述の中に、大和本草では「シシヤキ草、武蔵国ではササヤケ」と呼ばれたことを紹介しているが、大和本草1709年刊)を著した貝原益軒は福岡の人間だから、西日本ではシシヤキ、関東ではササヤケなどが有力な名前だったのだろうか。
私の図鑑の注に「物品職名 タケニグサ だつど」とあり、これは1809年に刊行だから大和本草100年後になる。「物品職名」は尾張藩士の本草学者水谷豊文がまとめたというから、これは名古屋近辺、中部日本での名前だろうか。ただしこの凡例に「小野蘭山先生の説に据のみ」とあるので、原書に当たらないと判らないが、「タケニグサ」も蘭山の「本草綱目啓蒙」によるものかもしれない。蘭山は京都の人、日本のリンネとも言われる学者である。もしこの名前が蘭山からきているとすれば、蘭山は多くの地方名の中からこの言葉を選び取ったのであり、京都辺りを中心にした、どちらかといえば田舎人ではなく、都市の学者の間から定着してきた名前かもしれない。そうして次第にこの味気ない名前が、田舎の多様な名前を抹殺して共通名の位置を独占していったのかもしれない。
 
以上、図鑑を見ていて、推量に推量を重ねてしまったが、それもこれも、タケニグサなどという生活臭のない空疎な名前のせいである。
河原のでかくて邪魔なこの草は、可哀想だが早晩、誰かに折り刈られてしまうだろう。