お賽銭箱にチャリン

初詣賽銭箱のみ新しき
イメージ 1(地元の太鼓演奏も)

たまには信心深くと思い立ち酔った足で近くの神社に2年参りに出かけた。旧の郷社で祭神はコノハナサクヤヒメ。初詣の日だけ、というより元旦前だけびっくりするような人出になる。日が揚るともう甘酒もないし焚き火もないし、静かなものだ。

狭い斜面に構えられた小さいお社だから、お参りに並ぶ列が100m以上になる。その最後尾について20分もしてやっと参拝できた。

句は、この社のものではない。先日博多から下関、防府一の宮を回ったときに、どの神社も早々と賽銭箱というかお金を投げ入場をしつらえてあり、それを見ての句である。

北海道の民謡で北海鱈釣り唄という調子のよい唄には、
折と折とに 参詣(さんけ)をいたし
参詣(さんけ)いたしたその折からに
おさごまいては拍手たたく

という歌詞がある。この「おさごまいては」とは、御散米を撒く、ということらしい。今でも竣工式や地鎮祭などでこの名残があるようだが、昔は神前や墓前、峠などで悪霊を追い払うため生米を撒いた、ということらしい。節分の豆まきみたいなものかもしれない。お米を紙片に入れてひねったものを、オヒネリといったらしいから、お賽銭にも近いかもしれない。
はるばると歩いてきた峠で、お米をまいて拍手を打ち、峠の神様に旅の無事を祈る。イメージするだけでも、いい風景だ。
キリスト教イスラム教には、こうした賽銭箱があるのかどうか、良く知らない。ルターが怒ったのだから、キリスト教会には何かあるのかもしれないが。