石が夢みる-1

石切りや水ぴちゃぴちゃに跳ねて春
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(安倍川の葡萄石)
先日古い友に会ったら、ほらっ、と小石をいただいた。磨きこまれて丸く緑色をしている。
安倍川のブドウ石だよ。
どうやら蛇紋岩というらしく全体に緑がかっていて黒い斑点と斜めに走るような線が入っている。安倍川の葡萄石というのは名石として知る人ぞ知るものらしい。しかし掌で弄んでいても、申し訳ないのだが感情移入ができない。自分で磨かないと駄目なのかもしれない。そういえば、昔、職場の先輩の家を訪ねたとき、「鉄丸石」だといって達磨さんのような形をした重い石を、
 持ってっていいよ
と手渡されて、以来家の庭においたままなのだが、これも安倍川の名石だという。その先輩は早くに亡くなってしまった。
 
石に関心がないわけではない。男の子は一般に、石や鉱物に惹かれる気質を多かれ少なかれ秘めている。私もふと気になった石をあちこちから拾ってきては、辺りに置いてあるが、管理をしていないのでどの石がどこのものか多くは判らなくなっている。
そのなかにはリスボンの街の敷石工事現場から持ち帰った白い角ばった敷石、赤石岳のチャート、甲斐駒山頂の石英、友達からもらったネパールのアンモナイト化石、日南の鬼の洗濯岩もある。こんなものが箱の中にごろごろしている様は、私の頭の中と同じである。宇宙飛行士が月から持ち帰った石が公開されたことがあったが、その石は、まるで飛行士に訴えかけるようにそこにあった、というようなことをどこかで読んだ記憶があるが、そんな出遭いをしたいものである。
 
学生のころ、ロジェ・カイヨワの「石が画く」?という本を見つけて喉から手が出るほどほしかったことがあった。貧乏学生にはとても手が出なかったのだが、読んでも判るものではなかっただろう。その後、種村季弘氏の「不思議な石のはなし」(河出書房新書)や「石 昭和雲根志」(益富壽之助:白川書院)、野本寛一氏の「石の民俗」などを手元に置いて、石の夢想にふけることもあるのだが、とても弄石家にはなれそうもない。しかし石にいろいろ夢みる気持は、わからないでもない。
 
その種村氏の「石のはなし」に、葡萄石がでてくる。こんな話である・・・。
江戸時代の稀有の弄石家で「雲根志」を著した木内石亭のことだが、彼は1741年正月18日に夢をみる。ある古鉄店の前にさしかかった時、店先に青々としたブドウの実が糸で吊り下げてあり、近づいてみるとそれはブドウ石で、しかも値段はべらぼうに安い。彼は念願のブドウ石を手に入れることができてほくそ笑む、が、そこで目が覚める。ところが1年後の正月18日に大津で夢そっくりの古鉄店にブドウ石が釣り下がっている、値段も安い。石亭が嬉々として購入したのは言うまでもない。まさに正夢だったのである。

また、石亭は珍品21種を選択しその第1にブドウ石をあげているという。私は「雲根志」を読んでいないが、最近は口語訳も出されているときいている。だが、ブドウの実のようだと書かれている、件の葡萄石は、どうやら私がいただいた写真のものとは少しちがうようだ。ネットで検索してみると、マスカットのような鮮やかな色をした丸い石が出てくる。まさにブドウの粒のようだ。してみると、これは名前は同じだが、別物なのか、またはやや不純物が多いローカルなブドウ石なのか。この辺のことは友人に後日尋ねることとしよう。