子規の柿の絵は?

柿食いてなお柿寿しも求めたり
イメージ 1
(故義母(今井歌子)の柿の絵:使わせてもらいますよ)
子規が草花の写生画をたくさん残したことはよく知られている。病状六尺には、モルヒネを飲んで一時の安静を得たときに病床で嬉々として描いている様子が書かれている。私は子規の絵を挿絵で何点かみた程度だが、病人が描いたとは思えない力が感じられる。
友人が「子規には柿の絵がないのかな。あれほど好きだったのにねえ」という。
確かにあまり見ないなと思いつつ、でもどこかで柿の絵を描いているなあとネットでいろいろ探してみたが、上手くヒットしない。子規は草花帖や果物帖などを遺しているはずなので、それにはあるのかもしれないが、そこまで私には調べられない。
で、ふと思い出したのが虚子の「柿二つ」という小説。ここにあった。
引用する。
去年の秋であったか、彼(子規)は柿の皮のむきかけてあるところを写生した。K(虚子)がそれを見た時に変な顔をしていたので彼は聞いて見た。
「その画はどうぞな。」
「そうよ、何だかへんな画だと思ってみているのよ。」
「それは私(あし)の得意な画じゃが・・・何の画とお見たら?」
「馬の肛門みたようだと思ってみているのよ。」
「ははははは。それはひどい。ははははは」
そんなことがかえって彼を楽しましめた。馬の肛門はしばらくの間好話題になった。 (「柿二つ」19-2)
 
虚子のこの小説は、事実に近いとしたなら、子規は剥きかけの柿を描いているはずであるが、その絵が残っているかどうかは知らない。
 
以前、子規庵をおとずれたときのブログがあったので、参考までに添付。