アシもいろいろ(イネ科は苦手4)

取り立てて言うことでもなし葦の花
 アシ(ヨシ)
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アシは古来和歌にもたくさん歌われている。万葉集には50首で、意外だがススキの47首を上回る(尾花、カヤを含む)。数としても多いのは、身近によく目にとまり、簾や屋根など昔の生活には欠かせないものだったことにもよるのだろう。日本は「豊葦原の国」ともいわれたし、アシの名をつけた神々も居られることから、日本人はアシにある特別な感情を抱いていたことが伺われる。(下段の参考メモへ)
 
アシは芽生えの一時が美しい。「アシは角ぐむ」と唱歌にもあり、枯れ草の下から緑が萌え出すのは力強くて美しい。
難波江のアシは歌枕にもなっている。アシは塩水性ではないので難波江・難波潟というのは汽水もしくは真水のはずであって、だとすると潟は相当な面積で広がり、あちこちに「澪標(みをつくし)」が並んでいたのだろう。
 
セイコノヨシ
ひときわ背が高く、3~5mほどにもなる。しかもその葉は鋭角に上を向いて生えていて、葉のふちは触ると容易に人の手を切る。名前は「西湖の葦」ということらしい。南国の雰囲気のするアシである。
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 (非常に背が高く、葉は鋭い)
ツルヨシ
アシよりも小型で、盛んに茎を這わせて、その先で根を出して広がっていく。河原など水辺近くでたくさん見られる。雑草らしい雑草。
百人一首「難波潟短き葦の節のまも逢わでこの世を過ぐしてよとや」は、良く知られた伊勢の歌だ。「短き」はもちろん「節の間」にかかるのだろうが、ツルヨシを見ていると、ここにイメージされているのは、普通のアシではなくツルヨシではないかという気がしてくる。アシは節がそれほど目立つものでもないに対し、ツルヨシは匍匐する節々がはっきりしていて、しかも小さいのだ。
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(石の護岸を這い上るツルヨシ)
 
(参考メモ)

麻機沼にもアシは群生している。
春は真っ先にアシの芽が「つのぐみ」、枯野の下部から徐々に緑色に変わっていく。初夏にオオヨシキリがわたってきてギョギョシギョギョシとうるさく騒ぎ、冬には立ち枯れて夕日の中で穂だけが白々と輝いている。
一年を通じて、大きく風景を変える植物である。葦原などは見慣れた風景だから、特に感興もわかないけれども、改めて考えてみればアシは湿原の自然を支える基礎的な植物であることは疑いようもない。

湿地であればいたるところに生える困り者。と思っていたが、そうでもなさそうだ。何処にでもあるから、それだけに昔から日本人の生活に密着していて、両者は意外に根深い関係にありそうなのだ。
まず記紀には「豊葦原の水穂の国」が、国号として出てくる。具体的に何処を指しているのかは、諸説があるようだが、アシが生える水辺の豊かさを賛美していることには違いない。
また、古事記の頭には次の文が出てくる。
「国稚く浮脂の如くして、くらげなすただよへる時に、葦牙(あしかび)の如萌え騰る物に因りて、成りませる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅神。次に・・・」
葦牙(あしかび)と読ませているのが、葦の芽のことで、「もえあがるもの」の象徴として書かれていて、「宇麻志阿斯訶備比古遅神」(うましあしかびひこぢのかみ)が誕生している。春の燃え上がるような生命力を、葦で表現した神様なのだろう。古事記に登場する神としては4番目で、前3神が観念的な造化の神であるのに対し、いかにも土のにおいのする神様である。

アシは、水田耕作には邪魔者以外の何者でもないはずだが、アシが繁茂するような水辺の場所こそが、稲がよく育ち生産力が高く暮らしやすい恵まれた土地なのだ、という古代人の大らかな感性を感じさせる。
古事記が日本最古の書物であることを考えれば、アシは日本で真っ先に文字にされた植物であることになり、いわば、一目置かれていた植物だったと言えそうだ。