名勝 「姨捨の棚田」で一句

姨捨や一枚植えては立ち話
 
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「田毎の月」で有名な歌枕、姨捨の棚田を帰郷のおりに寄った。
気にしていながら、なかなか行けない所があるものだが、ここも私にとってその一つ。信州では棚田など珍しくもないし、むしろ棚田のほうが普通なのでそれほど興味をそそられるものでもなかったことも理由の一つであった。
 
今回ふと思いついて寄ったのだが、ちょうど水を張り始めていたタイミングで、確かにいい眺めだった。水面が光るのは苗が成長するまでのわずかな時季である。棚田ファンが全国から集まるらしく、カメラをもったひとがポイントを求めて散策している。
 
ざっとおさらいすると、長野県千曲市八幡地区に広がる棚田で、64.3ヘクタールが重要文化的景観として選定されている。江戸時代に開発が進んだが、戦国時代には既に知られた風光だったようだ。いわゆるおばすての説話や芭蕉の句などにより、「田毎の月」の観月の名勝地として知られるようになり、京都東山、土佐の桂浜と並び称される。棚田にある長楽寺には、俳人歌人の碑が所狭しと林立し、「さらしな・おばすて全国俳句大会」が開かれているなど、俳句の名所となっている。ちなみに田んぼの一部は全国からオーナーを集めて維持管理にあたっているようだ。
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(長楽寺の境内歌碑)
 
芭蕉の句は、
俤や姥ひとり泣月の友
 
句の背景にあるのは、山に棄てられた老婆の物語だが、棄老という風習は日本には無かったというのが歴史家の一般的な理解であり、あくまでも物語り上のことである。名句なのかもしれないが私には「月の友」という下五がよく解らない。
 
一茶は信濃の生まれだから何度も訪れている。その中から一句。一茶のころは観月の観光地になっていたらしく、

一夜さは我さらしなよさらしなよ

 文人のあこがれの地「さらしな」の月見の一夜を、この地にいますよと、観月の客皆みなが感慨に浸っているのをみる覚めたおかしさ。