里人にようやく初音を披露せり
先日、ウグイスの初音を耳にした。上手に鳴いてくれていた。
この声をきくと本当に春がきたなと感じる。「春告鳥」としゃれて言う人もいるようだ。
しかしウグイスは近くで鳴いているのだが、姿が見えない。
数年前に窓のすぐ近くの庭木にとまって大きな声で鳴いたことがあり、そのときは葉の陰に動き回る姿を垣間見たが、スズメくらいの大きさの地味な印象だった。それとて目に焼き付くほどしっかり見えたわけではない。野鳥を視るのは難しい。
で、私の唯一の野鳥図鑑ともいうべき「bird song」というCD付きのイラスト本を開いていたら、
「ウグイスは声も姿もきれいな鳥という文章を時々見かけるが、これはどうやら中国語で鶯の字をあてている全く別の仲間の鳥、コウライウグイスと混同しているようだ」
という解説がある。
おやおや?と思って、ネットでコウライウグイスを調べると、似ても似つかぬ黄色い鳥で、翼の先あたりが黒い派手な色合いをしている。鳴き声もずいぶん違う。
(wikipediaから借用)
昔覚えさせられた漢詩で、ウグイスといえばこの詩が浮かんでくる。
千里鶯啼いて緑紅に映ず
水村山郭酒旗の風
南朝四百八十寺
多少の楼台煙雨の中
日本人は、これをのどかな春の日にホーホケキョと聞こえてくる風景を思い浮かべるのだが、「鶯」(コウライウグイス)の声はもう少しきつい音やいろいろな声を出すようなので、それを詩の劈頭に取り上げるほど代表的な美声でもないように思える。
とすれば、このフレーズは従来、緑を主語にして、緑が紅と映えていると訳されているようだが、むしろ主語はウグイスであって、コウライウグイスの派手な黄色が、新緑と紅の花たちと映え合っている。という解釈はいかがなのだろう。派手な黄色が、春の風景の中を動くのが見えている、これは音の世界ではなくて、視覚の世界なのだ。そして向こうには酒屋が見える。
・・・うん、一杯やるか。
・・・漢文の基礎もわからぬ人間の妄想でした。