カンアオイ 枯葉にひっそり

山城の空濠深しカンアオイ

 

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里山をウォーキングしていて、「アオイ」を目にしたので、記しておきたい。私はあまり目にすることがない野草である。

ひとつは藤枝市岡部町、一つは静岡市の丸子の山中であった。この二つが同種なのか、何という名前なのか、私にはとんと見当がつきかねる。図鑑をみると、ウスバサイシン、タマノカンアオイフタバアオイなどが掲載されており、カンアオイの一種かとも思われるが、地方によって細かい区別がありそうなので、なまじな品定めはやめておくのがよさそうだ。

 

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私が見たいずれもが、花は地味な土色でほとんど朽ちた枯葉と区別がつかない。しかも地面に転がっている感じである。これが花なのさえ疑わしくなってくる。が、どうやらこれは紛れもなく花であって、筒状のがくの中で秘かに自家受粉をするようだ。いかにも秘密めいているがどういう進化なのだろう、完全な自家受粉であるから、地域による個体差が固定化されるということか。

 

アオイというとアオイ科かと思うが、これはアオイといってもウマノスズクサ科である。馬の鈴、とは子どもがつけたようで素直な観察眼を感じて微笑ましい。アオイ科というのは、たとえば初夏のタチアオイなどであり全く別物になる。しかし平安時代以降は、アオイと言えばウマノスズクサ科のアオイを言うようになったという。それにしてもこんな地味な陰気なものが、なぜもてはやされたのか?という疑問がわく。

 

徳川家の家紋は、ご存じ「三つ葉葵」であるが、植物としては「ミツバアオイ」なるものは存在しないという。在るのは「フタバアオイ」であり、徳川の家紋はデザインだという。京都の上賀茂神社の紋はフタバアオイなので、徳川はその上を行くという意思表示だろうか。

賀茂神社葵祭では、アオイとカツラの枝を組み合わせて飾り物にすることでも知られている。葵のご縁なのだろうが、江戸時代に賀茂神社から徳川の駿府へ毎年アオイが送られていて、それは「葵使」と呼ばれ大名行列のように物々しかったのだという。幕末にこの行事が途絶えたが、先ごろまた復活させたという新聞記事を数年前に読んだ記憶があり、調べると現在でもこのイベントが続けられていて、静岡市の葵小学校ではその株を栽培して増やしているとのこと。

 

ついでに子規の句を検索すると、

古庭の雪に見出す葵哉 (明治29年) これはウマノスズクサ科のようだ。

半日の嵐に折るゝ葵かな 明治31年)これはタチアオイのようだ。

子規の句のアオイは大半がタチアオイであり、明治20,30年には東京ではアオイといえばタチアオイを指すことのほうが多かったのかもしれない。紛らわしいことだ。

 

以上あれこれを散漫だが、連想することなどを・・・。