家康の奪い取った諏訪原城(島田市)

戦国の砦やワラビの摘みどころ

 

(案内所にあるジオラマ

静岡市駿府城、浜松の浜松城は家康ゆかりの城だが、その中間くらいの位置に諏訪原城という山城跡がある。あまりメジャーではないが、国指定の史跡になっていて、その遺構の大きさからみても全国屈指のものだという。

30年ぶりくらいに、近くを通ったついでに寄ってみた。ちょうどJRのウォーキングイベントが開催されていて、大勢のハイカーが付近を歩き回っていた。昔の記憶としてはただ荒れた林があるだけで、なんの感慨も湧かなかったのだが・・・。

随分整備されていて驚いた。ビジターセンターもトイレもある。城跡は林と竹林だったのが、広々と伐採され空堀もしっかりと見えている。堀の深さには驚いてしまう。城内のコース案内もしっかりされている。

 

この山城は東海道筋の、金谷宿と小夜の中山の中間点辺りの交通の要衝にあり、また大井川を見下ろす台地の端という天然の要害ともなっている。前面はいまは一面の茶畑である。ちょうど金谷宿の春のお茶祭りが開かれていて、崖の下に見える宿場あとから唄や太鼓が聞こえてくる。山車も出ているようだ。

 

さて、この山城は甲斐の武田勢が遠江制圧のために勝頼が造らせた城だったが、1575年にいわゆる長篠の合戦に敗北し、家康の手に落ちた。その後今川氏真を城に入れ家康の駿河攻略の最前線としたとのこと。1582年に武田氏が滅ぶと軍事的な役割を終え、1590年ころには廃城となった、と案内に書かれている。してみると20年ほどしか使われなかった、ということだろう。

大河ドラマには出てくるだろうか?

 

それにしても深い空堀が生々しく、戦国時代という国内で、すぐ隣の町や村と殺し合ったリアル感が伝わってくる。眼に見える距離で敵と対峙し、迫撃を繰り返していたのだろう、が、21世紀でもロシア・ウクライナ戦が予想外に白兵戦的なので、戦争とはそういうものか、と思ったりもする。

 

本曲輪からは眼下に金谷島田の街、そして遠くには富士山が霞んで見えていた。大井川の涼風が吹きあがってくる。そして女性軍はというと曲輪に萌え出たワラビ取りに夢中になっている。縄文の時代から変わらぬ男女の性向のちがいかもしれない。

大河ドラマ「どうする家康」ブームも、通りすぎると何も残っていない。そうならないためにも、この城のような基本的な歴史資源をしっかり保存整備することが何より重要だと改めて思う。