礼拝堂足踏みオルガン蔦紅葉
AOIのオルガン
静岡駅前にある音楽ホール「AOI」には、立派なパイプオルガンがある。ホールによれば、フランスのアルフレッド・ケルン社の製造で、41ストップ、パイプ総本数2,868本で、手鍵盤3段と足鍵盤を備えており、バロック時代の作品に対応するだけでなく、ロマン派などの多彩な音楽にも対応できる造りとなっているとのこと。
しかし、あまりオルガンの演奏がないので、いつもステージのお飾りになっていて、もったいないことだ。
と思っていたら、友人がオルガンコンサートの切符を手に入れたので行こうと誘ってくれた。会場はコロナ禍の演奏会とて、定員の半分ほどに入場者を抑え、モギリも入場者自身でやるという感染対策。これで感染したら不運としか言いようがない。1時間だけのミニコンサートで、プログラムはバロックから現代までと幅広く、サックスとの共演も組まれたユニークなものだった。
解説を読んでいて、オヤ?と思った。
プログラムに「アルビノーニのアダージョ」があったのだが、レモ・ジャゾットというアルビノーニ研究家の1958年の作と記されている。私はアルビノーニの作だとずっと思っていたので驚いた。どうも元々出典があやふやだったようだが、ジャゾット氏が1998年、死の直前に自分の作であると真相を告白した、のだという。なんとバロックではなくて、現代作曲家のアダージョだったのだ。
この曲は情緒たっぷりで、いかにも泣かせどころつかんでいて古楽好きならだれもがよく知っているものだ。
でも、私は20代の初めのころこの曲を聴いて、この曲はバロック音楽の精神とは別物だ、本物のバロックではない、という感想を抱いてメモも書いたことがあった。もちろん感覚だけの感想だったが。バッハに沈潜してバロック音楽喫茶に通いつめていた学生時代のことである。
当時は、まだまだ古楽の研究が進められている途上であり、アルビノーニ作ということには、斯界では何の疑いもなかったように記憶する。私も、曲のはらむうさん臭さはそのままにして、とくに詮索するでもなかったのだったが。まさか現代人の作とは。とするとあの時のわたしの耳は、間違いではなかったんだな、と今回再認識することとなった。
それにしても、今頃それを知るとは、私の情報音痴もひどいものだ。「そんな20年前のことを知らなかったの?」と言われそうだ。