白鳥飛来する

逝く人は白鳥を追うがごとくに

 

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この温暖な静岡の地にも、白鳥が飛来した。噂は一週間ほど前から流れていて、私も探して歩いたが、見つけることができず気にかかっていたのだった。

 

「いま、白鳥が見られるよ!」と散歩中の家内から携帯が入ったので、慌てて沼に駆けつけると、枯れ葦の囲む沼の水面にゆったりと泳ぐ姿が見られた。この地で、こうして現物を見ることは極めて稀だ。胸の鼓動が高まる。

しかし50mは離れているので、私の鈍い眼ではその表情まではとらえられない。あまり白くは見えない。やや汚れ色に見えるのは、幼鳥であろうか。とすると父母と長じた子、幼い子たちの家族かもしれない。野太い鳴き声が聞こえてきて、それはまるで犬のようだった。宮城県新潟県の映像はよく見るが、静岡まで南下してくる例は少ないのではないだろうか。この一組だけが、仲間と離れてこの地に来たのは、なぜだろう。

 

家内は既に2,3度見かけていて、「白鳥は7羽いるはずだが、今は6羽しか見えない。」と1羽を心配している。私は、対岸の葦辺に姿が見えなくなるまで30分ほど見ることができた。噂を知ってカメラを構えている人も来ていてちらほら姿が見られる。テレビが報道して観客が押し寄せる事態が心配であるが、今日までそうした事態にはなっていないのでありがたい。

 

白鳥を見ながら、私は谷川健一氏の「白鳥伝説」を思い出していた。

大和政権より前に日本の地に住んでいた人たち、縄文人蝦夷アイヌ人。こうした先住民族の意識が、以後の歴史時代に連なってきているはずだという仮定を立て、それを「縄文の意識の嵐」と名付け、その痕跡を追い求める壮大な知の冒険書であった。氏の文章は知的な事実を叙情豊かに説き、読者の心をつかんで離さない。

この中で東北地方の白鳥信仰に触れながら、バイカル湖のほとりに住むブリヤート族の説話を、孫引きだが次のように紹介している。 

日本の羽衣伝説と同じで、白鳥が羽衣を脱いで水浴しているとき、羽衣を奪われ人間の妻になる。けれど白鳥は自分の羽衣を在処を探し当て、それを着ると、天幕の煙出しから舞いあがった。末の娘が煤のついた手で母親をさし止めようとして、その足をつかんだために、白鳥の足は黒くなった。今日、白鳥の足が黒いのはそのためであるという。

ブリヤート人は白鳥を母とみなし、氏族の始祖が白鳥であると考えているのだという。白鳥の足をつかんでいる感覚が掌に伝わってくるようだ。 

谷川先生が逝ってもう7年が経つ。