西洋のセミ事情 (奥本大三郎氏の本から)

大水や蝉の生まれぬ里となる

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窓を開けておいたら、蝉が飛び込んできた。カーテンにとまってじっとしているので、外に出そうと摘まむと、ジーッと油の声を出した。うるさくなる前に外に出してしまった。この2,3日の雨で蝉はずいぶん静かにしている。

最近の大雨は、各地で浸水被害をもたらしているが、きっと地中のセミの幼虫も溺れているだろう。いろんな生き物にとっても厳しい大雨だ。 

 

知人のところで、蝉の形の壁飾りを目にしたので、尋ねると南仏のお土産で頂いたとのこと。どこかで見たなぁと思って記憶をたどると、奥本大三郎著「虫の宇宙誌」にある「蝉涼し」というエッセイに載せていた写真だった。南仏の民芸品の一輪挿しとして紹介している。

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奥本氏は、蝉は寒い北ヨーロッパにはいないので、「西洋では蝉の声を聞こうと思えば、南仏やギリシァにまで南下しなければならない。一般の英国人はセミcicadaといっても実際には何のことかわからないのではないだろうか」と、かいている。南仏を訪れた寒いヨーロッパの人々は、蝉の声にびっくりして、あの音はなに?と尋ねたに違いない。その驚きを土産にして帰国したのだろう。ゴッホなどもそうだったのか。

この本は、もう40年前のものだから、今は温暖化で蝉の分布が変わっているかもしれない。

氏はこのエッセイでイソップ物語のアリとキリギリスの寓話を取り上げている。

夏に歌ってばかりいたキリギリスは冬になって食べ物に困りアリに乞うが、アリは「夏に歌っていたのなら冬は踊りなさいよ」と断るという、誰もが知るお話である。

ところが原典では、キリギリスではなくセミなのだそうだ。

イソップ童話は、紀元前3世紀ごろにギリシャで成立したもので、以後ヨーロッパに普及し各国で翻訳された。翻訳した北欧人はセミにはなじみがないので、キリギリスなどに置き換えたようだ。氏は、その置き換えが、余りに虫の知識に欠けていると逐一指摘して、虫に対する西洋人の関心の低さを浮かび上がらせている。

日本にはセミから置き換えられたキリギリスのバージョンで伝わってきたが、これも正確に翻訳するとコオロギが正しいようだ。コオロギもキリギリスも更にセミも、関心の低いヨーロッパでは厳密に区別する意識も低いのだという。 

 

地上で鳴いているセミは、10日ほどで交尾を終えて命が尽きる。羽化する前は7年間地下で過ごしている。これは植物で考えれば、「桃栗三年柿八年」で、毎回種から8年経たないと結実しないカキに近い、ということになるか。そんなつもりで聞いていれば、蝉もまた苦労しているな、と相憐れむ気分になってくる。

なおエッセイ中に、こんな名句があったのでメモしておこう。

「蝉は幸いなるかな、その妻は鳴かざればなり」 ギリシャの風刺詩人クセナルコス